詰込み教育は必要。(学歴の為に朝から晩まで勉強漬け、いうのはマイナスだが)就職して新しい世界に入って、専門用語や見たことのない道具、使い方。また資格を取るなどに、その時、培った勉強手段が役に立つ。想像力と思考力より、円滑な人間関係の構築の仕方の方が大事。挨拶と掃除から始まって、クラブ活動や運動会、文化祭、○○係・委員会など、日本の学校教育はバランスが良い。いかに、自分の得意なこと、好きなことを見つけるか、が大事になってくる。
教科書など廃止してウィキペディアで代用したらいいなどという暴論を吐く人は、ぜひ竹田恒泰氏の教科書検定合格に至るまでの挑戦の話を聞いてみて下さい。 竹田氏は、数回にわたる挑戦の末に、ようやく令和書籍の中学国史教科書の検定合格に漕ぎつけたばかり。 興味深いのは、その検定の過程。 氏曰く、文部科学省の複数の博士号を持つ検定官が提出された教科書を熟読し、詳細な点に至るまで検討するそうです。 教科書も、出版社によって内容はかなり異なります。その内容がきちんとした学会に所属する研究者の論文などにより現時点で正しい、ないしは少なくとも妥当な説と認められなければ、検定には通らないらしい。 民間のいわゆる愛好家的な歴史家の見解では論拠とは認められないのだとか。 そのため竹田氏は、従来の教科書と異なる見解を書く場合には、論拠となる複数の学説を論文として提示したそうです。 ウィキペディアは、そうした学説などによる内容の担保や査定、査読が一切ない。そんなものを信用できますか? – 論拠を論文の形で提示するというのは、大学レヴェルになれば、卒論、修論、博論はもちろんのこと、ゼミのレポートでも必要になります。場合によっては、高校段階でもそうしたことを要求する学校もあります。 ウィキペディアでも、論拠を明示している項目もあるし、もちろん相当の学識がある人が書いている場合もあるわけですが、執筆者が専門的な研究に従事している研究者かどうかという担保は一切ないわけですよね? 今は、大学の紀要論文もネットで公開されているので、ネットで無料で読めるものが一概に悪いとは言えません。 問題は、誰が書いたものなのかということ。 ウィキペディアに限らず、巷にあふれる書籍や論文でも、その内容の正当性は、その分野の専門家でなければ判断できません。 YouTubeの動画の多くは、そうした書籍を読んで纏められているのでしょう。私などは、これは絶対に間違っていると思う場合には、指摘することもよくあります。 もちろん反論する場合には、論拠を提示します。 – 教科書というのは、そうした学問的な議論に入る前に、一般教養として一通りの知識を身に着けるためのもの。 だからこそ、内容は現時点での学説に照らして、正しいと認められるものでなければならないのです。 *** 尚、格差社会のカテゴリーを収入別に分けた上で、高収入の人ほど本を読む、その日暮らしの人は無教養な労働者で本など読まない、と安易に決めつけることには大いに異論があります。 それは、高学歴で教養が高い人は高収入だという前提に立っている見解ですよね? 実際には、特に人文科学の研究者は学んだことが収入に繋がらないから、往々にして貧乏で、生活は不安定。下手をするとその日暮らしで、生活保護ないしはそれ以下の生活レヴェルです。 挙句の果てに、何十年も続けて国際学会などでも発表を続けた研究を放棄し、生計を立てるために単純労働に従事せざるを得なくなったりする。 それが日本という国です。 経済的には恵まれているはずの自然科学系ですら、京都大学の山中教授が、ノーベル賞受賞に際し、研究の中核を担う研究員は非正規雇用の不安定な薄給のことが多い、待遇改善を望むといったではありませんか。 東大が授業料を国立大学の標準的な授業料の2割増しという、規定ギリギリまで値上げしようとしているのも、教授・講師・研究員などの待遇や研究環境の改善には、今の授業料では資金が足りなすぎるからです。 – 生活保護でも家族で29万円必要だといったのは誰でしたっけ? 文部科学省のポスドク用の学術奨励金は、月額20万円。しかも我々、在外日本人研究者は申請資格すらない。 ですから、私も、日本で大学院を出てからドイツに来て学業をやり直して博士課程まで通い、ドイツの大学の外国人客員研究員になっても、日本からもドイツからも給与は出ずに無給の私費滞在。 そんなことを何十年も続けていたら、実家も困窮して、私も研究を続けられなくなる。当たり前でしょう? しかもドイツにしろ、オーストリアにしろ、正規の研究員への雇用は、自国民が最優先される。欧州人ですらない日本人の私は、最初から蚊帳の外なのです。 – 私は今、ドイツ移民局と外国人局の勧めで、ドイツ移民局が実施しているドイツ市民権獲得のための試験を受ける予定で準備中です。 ドイツ滞在8年以上、生計を立てられるだけの給与が支払われる労働契約に加え、ドイツ語試験合格証明書、無犯罪証明書と、この移民局が実施するドイツの政治経済、公民、地理、歴史、社会生活のルールなどに関する総合試験の合格証明書を提出すれば、ドイツの市民権が得られるらしい。 通常、学生ヴィザで入国したシェンゲン協定域外の外国人には、日本とは異なり、アルバイトを含む就労許可は与えられないし、卒業後も就労ヴィザに切り替えることはできません。外国人留学生がバイトも就活もできる日本とは違うのです。 私の場合には、学生ヴィザ、研究ヴィザでの滞在が38年に及ぶということで、特例のようです。 – そのために今春から就労・終活可能な滞在許可が交付されて、ただいま就活中。 ですが、すべての条件を満たしてドイツ市民権を取得した場合、元の国籍は放棄することになるとのこと。 つまり日本国籍を捨ててドイツに帰化するということですね。 それでも、もしドイツの研究所にポストが得られて、私の長年の研究成果が生かせるのであれば、日本に帰国して今までの人生をゼロにして、ハローワークで最低時給ギリギリの単純労働をせざるを得なくなるよりは遥かにいい。 本当に、そのくらい追い詰められた状況なのです。 日本国籍を捨てたくて捨てるわけではありません。 愛国心がない? いやいや、今までの私の人生と研究成果をすべて放棄せざるを得ないような状況にまで追い込む日本政府の方が間違っているではありませんか。 いうなれば、日本という国と日本政府が私を見捨てたから、私も日本という国を捨てざるを得ない状況に追い込まれているのです。 – これで、高学歴で教養のある人は高収入のはずだなどと、どうして言えますか? 少なくとも、日本はそんな国ではない。 日本政府は今、経団連の要望に応じて、安い労働力として外国人移民を積極的に入れようとしています。 けれども日本政府は、ドイツ移民局のようなしっかりとした対応はとっていない。だから、日本語もろくにできず、日本社会の仕組みも知らず、下手をすると犯罪歴があるような外国人が入ってきかねない状況です。 その一方で、日本政府は我々、在外日本人研究者は冷遇して、生活保護以下の文部科学省学術奨励金の申請資格すら与えない。 だから、欧米を中心に、高学歴で専門知識を持つ日本人が、どんどん流出していますよね? 外国に長期滞在し、企業の駐在員のような一時的滞在でもなく、移住、移民、帰化を視野に入れているような日本人がかなりの数になるらしい。 – 私自身のことは、まだこれからどうなるかわかりません。移民局が実施する試験は、満点に近い成績が取れる自信はあるし、ドイツ語試験は大学入学時に、無犯罪証明書は博士号取得試験時にクリアしているので、私の場合は免除。 でも、何より労働契約などの条件がすべて揃わなければ、ドイツ市民権申請はできません。 ただ、今まさに、それが現実的に視野に入ってきているということです。 日本に帰国しても、私が何十年も、人生の殆どを費やしてきた研究が無駄になるだけで、生計を立てていかれるかどうかすらわからないのなら、そうするより外に仕方がないではありませんか。 –(続く)
みんな一斉に教科書を使って同じレベルから始めるのが格差をなくす方法というのはわかるけど、ネットの教材を使うことが格差の拡大につながるという論拠が全然わからない。上流階級がより良いものを求めるのは今でも変わらないし、貧乏人が無料で情報を得られるのは格差解消に繋がると思うけど? ただしWikipediaを教科書にするのは微妙なのは同意します
頭が悪くなっているのは投薬の影響が疑わしいですね。方向音痴になったり、記憶できなくなったり、集中力、発想力、読解力、などなど、あらゆるものが低下する投薬を行っている組織的な活動の対象として、私は生きてきました。背も伸びなくなったり、ジェンダレス化したり、4545中毒になったり、どうやら全ては運次第なのだから何をやっても良いのだ共産思想と、それ等に対抗する反共工作の自作自演とか、なんかそういう血で血を洗うような政治対立があるのが現実なのですが、必要悪として投薬を行っている国家権力は注意喚起すらできません。反吐しか出ません。
辞書も要約であって、詳細を知るためには、それなりの専門書を読んだり、それこそ『舟を編む』みたいに細かい調査が必要だからね。その時間をかけて得られるのは「たった一つの側面」であって「すべて」ではないから、Wikipedia(無料・編集可能な共有できるデータ媒体)を教科書にしたところで、どのみち情報追加されたものを編纂して『要約』するツールが欲しくなるだけだよ。必要・不必要なものの判断を面倒臭がるのが人間だし、まとめきれないから労力が嫌になって楽なものへと逃げたくなる。そうして情報を限定したり省いて捨てたりするのをAIなどに任せて便利だけ追っても真実から乖離していくだけ。便利だけどもね。あと今のAIは感情の表現を客観的に述べられるよ。小説の表現をどうするか?ということをAIに尋ねると、この心情を述べるならAの言い回しが◯◯の理由で最適だとか、こういう表現をしたら、こう伝わるだろうみたいなアンサーを出してくる。類語辞典代わりに使わせて貰ってるけれど、まあすごいよ。詰め込み教育は無駄だとは思わないけれど、その詰め込みは有効に使えるのか?という部分が一番大事。使えないなら忘れていくだけだから。だから使えるようにという点をメインに据えて欲しいんだけどなって大人が言ってやらねばとは思うよ。
AIに仕事が置き換われば、企業は経費を大きく削減できて、商品の値段も下がり、人々はそれほど働かなくても便利な生活を送れるようになる。 とはならないのが資本主義、資本家は売れなくなるギリギリのラインで値下げをやめて、仕事が無くなった人々は生活必需品すら買うことが出来なくなる。
普通の大学や高校ならwikiの内容のいい加減さを教えるものだだってそういう先生方の飯の種の一つとして教科書があり、wikiなんてものは基本的に教科書作成に参加しない.出来ない人や自分の主張を他者に布教したい人が利用して作り上げてるもんだ 本当の為になる情報は有料なんだけど、良くも悪くもこういうwikiを教科書の代わりにって考えは教育の無償化の弊害なんだろうな
ツノゼミさんは誰かの意見交換聞きかじりを自分の考えとして質問しているように思います。Wikipediaのソースが何かを理解していれば、嘘を書いてある可能性があることは否定できない事を知っています。情報ソースには無関心で、自分基準で受け入れやすいという理由だけで間違っているかもしれないという理由だけで自己の学習媒体を選ぼうという短絡的な考えからきているでしょう。正しくないかもしれない知識をわざわざ学びたいと考える人は、まずいません。むしろ知らないほうがいい。もう少し自分がやりたいことの本質を調べたりなどしてから行動すべきだし、それすらしない人は、探究心があるとは受けとることができない。
Wikiの知識は誰でも書き換えられるし細かなところを言い出したら正確性がない。教科書は正しいのかといえば歴史家が100%正しいわけではなく教育として使われるものなので間違ったことも言えず、無難なところや断言しない口調などであいまいにするから情報が薄いし載らないものが多い。極論言えば100%正しい情報源なんてどこにもない。学生の教育現場は「詳しくは自分の目で確かめてくれ」の集合体みたいなものと思う。研究者がなんだかんだ発表しているけどアレはすべてが正しいわけではない。虚偽をそれっぽく載せているものがどこかにあるものが多く、だから今でも見直されて大規模変更が繰り返されている。勉強で教えられるのは「今現時点での事実」でしかないということ、「あらゆる情報は虚偽である可能性が含まれている」ということを踏まえて勉強すべきなのな。純粋にあらゆることを真実だと思い込んでいた子供の頃が懐かしいわ。
詰込み教育は必要。(学歴の為に朝から晩まで勉強漬け、いうのはマイナスだが)
就職して新しい世界に入って、専門用語や見たことのない道具、使い方。
また資格を取るなどに、その時、培った勉強手段が役に立つ。
想像力と思考力より、円滑な人間関係の構築の仕方の方が大事。
挨拶と掃除から始まって、クラブ活動や運動会、文化祭、○○係・委員会など、日本の学校教育はバランスが良い。
いかに、自分の得意なこと、好きなことを見つけるか、が大事になってくる。
参考としては役立つけど、この方は教科書の代わりって具体的にどうやって授業組み立てるつもりなんだろう
教師に丸投げ?生徒に丸投げ?
あと信頼性がそんなに高くないってことにも留意してないのも気になる
教科書など廃止してウィキペディアで代用したらいいなどという暴論を吐く人は、ぜひ竹田恒泰氏の教科書検定合格に至るまでの挑戦の話を聞いてみて下さい。
竹田氏は、数回にわたる挑戦の末に、ようやく令和書籍の中学国史教科書の検定合格に漕ぎつけたばかり。
興味深いのは、その検定の過程。
氏曰く、文部科学省の複数の博士号を持つ検定官が提出された教科書を熟読し、詳細な点に至るまで検討するそうです。
教科書も、出版社によって内容はかなり異なります。その内容がきちんとした学会に所属する研究者の論文などにより現時点で正しい、ないしは少なくとも妥当な説と認められなければ、検定には通らないらしい。
民間のいわゆる愛好家的な歴史家の見解では論拠とは認められないのだとか。
そのため竹田氏は、従来の教科書と異なる見解を書く場合には、論拠となる複数の学説を論文として提示したそうです。
ウィキペディアは、そうした学説などによる内容の担保や査定、査読が一切ない。そんなものを信用できますか?
–
論拠を論文の形で提示するというのは、大学レヴェルになれば、卒論、修論、博論はもちろんのこと、ゼミのレポートでも必要になります。場合によっては、高校段階でもそうしたことを要求する学校もあります。
ウィキペディアでも、論拠を明示している項目もあるし、もちろん相当の学識がある人が書いている場合もあるわけですが、執筆者が専門的な研究に従事している研究者かどうかという担保は一切ないわけですよね?
今は、大学の紀要論文もネットで公開されているので、ネットで無料で読めるものが一概に悪いとは言えません。
問題は、誰が書いたものなのかということ。
ウィキペディアに限らず、巷にあふれる書籍や論文でも、その内容の正当性は、その分野の専門家でなければ判断できません。
YouTubeの動画の多くは、そうした書籍を読んで纏められているのでしょう。私などは、これは絶対に間違っていると思う場合には、指摘することもよくあります。
もちろん反論する場合には、論拠を提示します。
–
教科書というのは、そうした学問的な議論に入る前に、一般教養として一通りの知識を身に着けるためのもの。
だからこそ、内容は現時点での学説に照らして、正しいと認められるものでなければならないのです。
***
尚、格差社会のカテゴリーを収入別に分けた上で、高収入の人ほど本を読む、その日暮らしの人は無教養な労働者で本など読まない、と安易に決めつけることには大いに異論があります。
それは、高学歴で教養が高い人は高収入だという前提に立っている見解ですよね?
実際には、特に人文科学の研究者は学んだことが収入に繋がらないから、往々にして貧乏で、生活は不安定。下手をするとその日暮らしで、生活保護ないしはそれ以下の生活レヴェルです。
挙句の果てに、何十年も続けて国際学会などでも発表を続けた研究を放棄し、生計を立てるために単純労働に従事せざるを得なくなったりする。
それが日本という国です。
経済的には恵まれているはずの自然科学系ですら、京都大学の山中教授が、ノーベル賞受賞に際し、研究の中核を担う研究員は非正規雇用の不安定な薄給のことが多い、待遇改善を望むといったではありませんか。
東大が授業料を国立大学の標準的な授業料の2割増しという、規定ギリギリまで値上げしようとしているのも、教授・講師・研究員などの待遇や研究環境の改善には、今の授業料では資金が足りなすぎるからです。
–
生活保護でも家族で29万円必要だといったのは誰でしたっけ?
文部科学省のポスドク用の学術奨励金は、月額20万円。しかも我々、在外日本人研究者は申請資格すらない。
ですから、私も、日本で大学院を出てからドイツに来て学業をやり直して博士課程まで通い、ドイツの大学の外国人客員研究員になっても、日本からもドイツからも給与は出ずに無給の私費滞在。
そんなことを何十年も続けていたら、実家も困窮して、私も研究を続けられなくなる。当たり前でしょう?
しかもドイツにしろ、オーストリアにしろ、正規の研究員への雇用は、自国民が最優先される。欧州人ですらない日本人の私は、最初から蚊帳の外なのです。
–
私は今、ドイツ移民局と外国人局の勧めで、ドイツ移民局が実施しているドイツ市民権獲得のための試験を受ける予定で準備中です。
ドイツ滞在8年以上、生計を立てられるだけの給与が支払われる労働契約に加え、ドイツ語試験合格証明書、無犯罪証明書と、この移民局が実施するドイツの政治経済、公民、地理、歴史、社会生活のルールなどに関する総合試験の合格証明書を提出すれば、ドイツの市民権が得られるらしい。
通常、学生ヴィザで入国したシェンゲン協定域外の外国人には、日本とは異なり、アルバイトを含む就労許可は与えられないし、卒業後も就労ヴィザに切り替えることはできません。外国人留学生がバイトも就活もできる日本とは違うのです。
私の場合には、学生ヴィザ、研究ヴィザでの滞在が38年に及ぶということで、特例のようです。
–
そのために今春から就労・終活可能な滞在許可が交付されて、ただいま就活中。
ですが、すべての条件を満たしてドイツ市民権を取得した場合、元の国籍は放棄することになるとのこと。
つまり日本国籍を捨ててドイツに帰化するということですね。
それでも、もしドイツの研究所にポストが得られて、私の長年の研究成果が生かせるのであれば、日本に帰国して今までの人生をゼロにして、ハローワークで最低時給ギリギリの単純労働をせざるを得なくなるよりは遥かにいい。
本当に、そのくらい追い詰められた状況なのです。
日本国籍を捨てたくて捨てるわけではありません。
愛国心がない? いやいや、今までの私の人生と研究成果をすべて放棄せざるを得ないような状況にまで追い込む日本政府の方が間違っているではありませんか。
いうなれば、日本という国と日本政府が私を見捨てたから、私も日本という国を捨てざるを得ない状況に追い込まれているのです。
–
これで、高学歴で教養のある人は高収入のはずだなどと、どうして言えますか?
少なくとも、日本はそんな国ではない。
日本政府は今、経団連の要望に応じて、安い労働力として外国人移民を積極的に入れようとしています。
けれども日本政府は、ドイツ移民局のようなしっかりとした対応はとっていない。だから、日本語もろくにできず、日本社会の仕組みも知らず、下手をすると犯罪歴があるような外国人が入ってきかねない状況です。
その一方で、日本政府は我々、在外日本人研究者は冷遇して、生活保護以下の文部科学省学術奨励金の申請資格すら与えない。
だから、欧米を中心に、高学歴で専門知識を持つ日本人が、どんどん流出していますよね? 外国に長期滞在し、企業の駐在員のような一時的滞在でもなく、移住、移民、帰化を視野に入れているような日本人がかなりの数になるらしい。
–
私自身のことは、まだこれからどうなるかわかりません。移民局が実施する試験は、満点に近い成績が取れる自信はあるし、ドイツ語試験は大学入学時に、無犯罪証明書は博士号取得試験時にクリアしているので、私の場合は免除。
でも、何より労働契約などの条件がすべて揃わなければ、ドイツ市民権申請はできません。
ただ、今まさに、それが現実的に視野に入ってきているということです。
日本に帰国しても、私が何十年も、人生の殆どを費やしてきた研究が無駄になるだけで、生計を立てていかれるかどうかすらわからないのなら、そうするより外に仕方がないではありませんか。
–
(続く)
みんな一斉に教科書を使って同じレベルから始めるのが格差をなくす方法というのはわかるけど、ネットの教材を使うことが格差の拡大につながるという論拠が全然わからない。
上流階級がより良いものを求めるのは今でも変わらないし、貧乏人が無料で情報を得られるのは格差解消に繋がると思うけど?
ただしWikipediaを教科書にするのは微妙なのは同意します
頭が悪くなっているのは投薬の影響が疑わしいですね。
方向音痴になったり、記憶できなくなったり、集中力、発想力、読解力、などなど、あらゆるものが低下する投薬を行っている組織的な活動の対象として、私は生きてきました。背も伸びなくなったり、ジェンダレス化したり、4545中毒になったり、どうやら全ては運次第なのだから何をやっても良いのだ共産思想と、それ等に対抗する反共工作の自作自演とか、なんかそういう血で血を洗うような政治対立があるのが現実なのですが、必要悪として投薬を行っている国家権力は注意喚起すらできません。反吐しか出ません。
Wikiはその言語の話者が多いとある程度信用性が出てくるんだけど、日本語って話者がすくないから信用できない場合が多い。
詰め込みが良くないものにしているのは日本の世論と評価だと思う。教育とは詰め込み教育がすべてであり詰め込み教育こそが社会正義だと思い込んでしまってる日本の社会的な風潮だと思う。
辞書も要約であって、詳細を知るためには、それなりの専門書を読んだり、それこそ『舟を編む』みたいに細かい調査が必要だからね。その時間をかけて得られるのは「たった一つの側面」であって「すべて」ではないから、Wikipedia(無料・編集可能な共有できるデータ媒体)を教科書にしたところで、どのみち情報追加されたものを編纂して『要約』するツールが欲しくなるだけだよ。
必要・不必要なものの判断を面倒臭がるのが人間だし、まとめきれないから労力が嫌になって楽なものへと逃げたくなる。そうして情報を限定したり省いて捨てたりするのをAIなどに任せて便利だけ追っても真実から乖離していくだけ。
便利だけどもね。
あと今のAIは感情の表現を客観的に述べられるよ。小説の表現をどうするか?ということをAIに尋ねると、この心情を述べるならAの言い回しが◯◯の理由で最適だとか、こういう表現をしたら、こう伝わるだろうみたいなアンサーを出してくる。類語辞典代わりに使わせて貰ってるけれど、まあすごいよ。
詰め込み教育は無駄だとは思わないけれど、その詰め込みは有効に使えるのか?という部分が一番大事。使えないなら忘れていくだけだから。
だから使えるようにという点をメインに据えて欲しいんだけどなって大人が言ってやらねばとは思うよ。
AIに仕事が置き換われば、企業は経費を大きく削減できて、商品の値段も下がり、人々はそれほど働かなくても便利な生活を送れるようになる。
とはならないのが資本主義、資本家は売れなくなるギリギリのラインで値下げをやめて、仕事が無くなった人々は生活必需品すら買うことが出来なくなる。
Wikipediaとか玉石混淆だしな。ブリタニカとかオンライン百科事典利用すればいい。
かちかち山と混同したんだね。
ほんとにもう、ロボットがいいですっ!
と言いたいですが。
教科書は思った以上に良くできている。
何とも有料課金で食べている人らしい結論ですが、図書館で十分知識も得られるからごまかされないでね、未来ある少年!
普通の大学や高校ならwikiの内容のいい加減さを教えるものだ
だってそういう先生方の飯の種の一つとして教科書があり、wikiなんてものは基本的に教科書作成に参加しない.出来ない人や自分の主張を他者に布教したい人が利用して作り上げてるもんだ
本当の為になる情報は有料なんだけど、良くも悪くもこういうwikiを教科書の代わりにって考えは教育の無償化の弊害なんだろうな
考える材料は結局インプットからしか得られないから、思考力を鍛えるには詰め込みも必要
ツノゼミさんは誰かの意見交換聞きかじりを自分の考えとして質問しているように思います。
Wikipediaのソースが何かを理解していれば、嘘を書いてある可能性があることは否定できない事を知っています。
情報ソースには無関心で、自分基準で受け入れやすいという理由だけで間違っているかもしれないという理由だけで自己の学習媒体を選ぼうという短絡的な考えからきているでしょう。
正しくないかもしれない知識をわざわざ学びたいと考える人は、まずいません。むしろ知らないほうがいい。
もう少し自分がやりたいことの本質を調べたりなどしてから行動すべきだし、それすらしない人は、探究心があるとは受けとることができない。
wikiでお勉強だと弥助やないかいってことになるわけでな
今はAIが答えたことを人間が正しいか精査するっていうことをすると、勉強になると思うぞ
wikiってある程度自由に編集できちゃうから、今後インターネットの情報だよりの生活の現代人は情報操作されまくっちゃうだろうね。
弥助問題でWikipediaの信頼性は血に堕ちたな
英語wiki並に充実したら検討の余地はあるかもな〜
これから階層が何段階に分かれて行くとか、19世紀のマルクスの時代からずっと言われ続けている。今に始まったことじゃない。
Wikiの知識は誰でも書き換えられるし細かなところを言い出したら正確性がない。教科書は正しいのかといえば歴史家が100%正しいわけではなく教育として使われるものなので間違ったことも言えず、無難なところや断言しない口調などであいまいにするから情報が薄いし載らないものが多い。極論言えば100%正しい情報源なんてどこにもない。学生の教育現場は「詳しくは自分の目で確かめてくれ」の集合体みたいなものと思う。
研究者がなんだかんだ発表しているけどアレはすべてが正しいわけではない。虚偽をそれっぽく載せているものがどこかにあるものが多く、だから今でも見直されて大規模変更が繰り返されている。勉強で教えられるのは「今現時点での事実」でしかないということ、「あらゆる情報は虚偽である可能性が含まれている」ということを踏まえて勉強すべきなのな。純粋にあらゆることを真実だと思い込んでいた子供の頃が懐かしいわ。
何年後?何十年後?
になるかなぁ?
生きてないだろうなぁ
貧困で無料で立ち回って、一生働かないという人生にしたほうがいい。
無料情報たくさん蓄えても意味感じてとても面白いです。