中途半端にアタマが良くても世の中、生きては行ける。 だが、アタマが良いとか悪いとかの前に"自分自身がどの程度の賢さなのかを自覚し俯瞰できて居るか/身の丈?謙虚さ?"の方が、自身が納得して生きて行く為に最も重要な事だと思う。アタマの良さよりも、感性やタイミングとかでアタマの良い人に打ち勝てる事だって有るのだから。ミラクルはそう簡単に起きないが、物事の下準備はどんなにアタマが良くても必要ですから、ソコに関しては平等だと思う。
これについては、私は意見が違いますね。不可知についてはほぼ同意見(何かが解るとレベルの違う問題が出てくる)だが、賢い人は、解からない事を知ろうとするが、バカは知ろうと努力しない(知ろうと思わない者もいる) 究極の”知”というものが有るとするなら、知らないと言う事で言えば皆がバカとなるのだろうが、”知らない”と言う事にもレベルが有るのだと思う。どんなに賢い人だって「それはなぜ?」という質問に10回(10段階)答えられる人はいないと考えている。
中途半端にアタマが良くても世の中、生きては行ける。
だが、アタマが良いとか悪いとかの前に"自分自身がどの程度の賢さなのかを自覚し俯瞰できて居るか/身の丈?謙虚さ?"の方が、自身が納得して生きて行く為に最も重要な事だと思う。
アタマの良さよりも、感性やタイミングとかでアタマの良い人に打ち勝てる事だって有るのだから。
ミラクルはそう簡単に起きないが、物事の下準備はどんなにアタマが良くても必要ですから、ソコに関しては平等だと思う。
これについては、私は意見が違いますね。
不可知についてはほぼ同意見(何かが解るとレベルの違う問題が出てくる)だが、
賢い人は、解からない事を知ろうとするが、バカは知ろうと努力しない(知ろうと思わない者もいる)
究極の”知”というものが有るとするなら、知らないと言う事で言えば皆がバカとなるのだろうが、
”知らない”と言う事にもレベルが有るのだと思う。
どんなに賢い人だって「それはなぜ?」という質問に10回(10段階)答えられる人はいないと考えている。