親父20年前に亡くなった、母は、半年前に亡くなった、亡くなった事によって、色々な手続き終わった後に、わぁーと来たね、なので人によってかなぁ、余命じゃないけど、歳もあるし、重い心臓病だったので、いつ亡くなってもおかしく無い状態だった、会いに行けるとき会いに行っておき、自分が納得出来るようにしておくことかなぁ~
父が癌で亡くなりましたが、お通や、お葬式では泣きませんでした、しかし約3ヶ月後位に父の遺品整理をしている時に、わんわん泣きました。今でも父とよく行ったお寺、神社、海に行くと父を思い出し心がジ~ンときて泣く時も有りますよ!きっと父への感謝の気持ちと、もっと親孝行をすればよかった!と頭と心が感じていると思っています
「キング・ジェームス・バイブル」を広めて欲しいと言ってました。KJB KJV ピーター・ラックマン牧師。 イングランド国教会で使っているものかな。多分。 youtube に出ている。 アマゾンで販売しているが、日本語訳は、まだ出版されていない様だ。
小さい頃よく面倒を見てくれた大好きなお婆ちゃんを大学生の頃に亡くしました。葬式では涙が止まらなかったし、もう10年以上経つのに今も思い出すと涙が出てくるくらい悲しい。大学生の頃初めて彼氏もできてお婆ちゃん家に遊びに行く事も減り、お婆ちゃんが入院してもあまりお見舞いにも行ってあげられなかった事が悔やまれます。ふとした時に元気な時にもっとお買い物に連れて行ってあげれば良かったなとか、入院中にもっとお見舞いに行ってあげれば良かったななどと考えてしまいます。お見舞いに行った時も元気になったらお出かけしようねというようなことしか言えず、今までたくさん可愛がってくれてありがとうという気持ちも伝えられなかった…自分の親が亡くなるというのを想像するだけで悲しいですが、いつかは来ることなので後悔しないようにしたいです。
月一日を復讐の日に決めるとてもサイコパス的(極めて合理的)だと笑ってしまった 確かに、恨みに人生を乗っ取られるのは自分にもマイナスが大き過ぎるし、かと言ってスッパリ捨て去れないし、ですよね流石でございます
仏教では慈悲喜捨というのがあって、簡単に言うと他者の不幸を一緒に悲しみ、他者の幸福を一緒に喜べるようになりましょう、というもの。 修行の目標の一つとしてそんな事が説かれる背景には、人間は根本的に他人(自分以外)なんてどうでもいい、なんなら「他人の不幸は蜜の味」と感じるようにできているという事ですね。 一部の人は幼い頃からそういうのが当たり前にできたり、受けた恩に対して敏感だったりするけど、そうじゃない人にとっては他人(親も含めて)がどうなろうと正直どうでもいい、って感じてしまうのも別に異常ではなくて、むしろありがちなんじゃないかと思います。
俺の母親は事あるごとに「大人になれば分かる」という理由で色んな理不尽を押し付けてきたが、社会に出て3年で母の言ってることの大半は自己利益のためだったと理解出来たので気兼ねなく全否定出来た。不誠実な行為で人からの信用を裏切るとどうなるか学んだ。狙ってやったのなら母は正常化するはずだが、それが無いので真性だったようだ。
親父20年前に亡くなった、
母は、半年前に亡くなった、
亡くなった事によって、色々な手続き終わった後に、
わぁーと来たね、
なので人によってかなぁ、
余命じゃないけど、
歳もあるし、
重い心臓病だったので、
いつ亡くなってもおかしく無い状態だった、
会いに行けるとき会いに行っておき、
自分が納得出来るようにしておくことかなぁ~
父が癌で亡くなりましたが、お通や、お葬式では泣きませんでした、しかし約3ヶ月後位に父の遺品整理をしている時に、わんわん泣きました。今でも父とよく行ったお寺、神社、海に行くと父を思い出し心がジ~ンときて泣く時も有りますよ!きっと父への感謝の気持ちと、もっと親孝行をすればよかった!と頭と心が感じていると思っています
11歳の時に嫌いだった母親が他界したけど、お通夜は涙止まらなかったし喪失感エグかったぞ
あー、そうなんだ としか思わないかなー
親父のときはなんも思わんかったしなぁ
「キング・ジェームス・バイブル」を広めて欲しいと言ってました。KJB KJV ピーター・ラックマン牧師。 イングランド国教会で使っているものかな。多分。 youtube に出ている。 アマゾンで販売しているが、日本語訳は、まだ出版されていない様だ。
右の頬を打たれたら、左の頬も差し出しなさい。 裁くな。そうすれば裁かれない。 罪に定めるな。そうすれば、罪に定められない。 許せ。そうすればあなたも許される。 イエス・キリストの言葉。
やること。一応介護することを考えてみる。できる範囲で。いろいろやるといろんなショックが割と軽減します。自分はとりあえずできることはしたという思いは、自分を支えます。
小さい頃よく面倒を見てくれた大好きなお婆ちゃんを大学生の頃に亡くしました。葬式では涙が止まらなかったし、もう10年以上経つのに今も思い出すと涙が出てくるくらい悲しい。大学生の頃初めて彼氏もできてお婆ちゃん家に遊びに行く事も減り、お婆ちゃんが入院してもあまりお見舞いにも行ってあげられなかった事が悔やまれます。ふとした時に元気な時にもっとお買い物に連れて行ってあげれば良かったなとか、入院中にもっとお見舞いに行ってあげれば良かったななどと考えてしまいます。お見舞いに行った時も元気になったらお出かけしようねというようなことしか言えず、今までたくさん可愛がってくれてありがとうという気持ちも伝えられなかった…自分の親が亡くなるというのを想像するだけで悲しいですが、いつかは来ることなので後悔しないようにしたいです。
犬のフンの後始末をしない人の家のドアが焼かれることがあったが、その後も犬のフンは始末せずに、全焼してたな。
「残酷な神が支配する」って漫画を思い出した。復讐の計画を立てている間は実行しないからと言ってカウンセラーが主人公の復讐の計画の相談に乗るシーン。
飼ってる猫ですらいずれ亡くなる日が来ると思うだけで辛いのに、親とかどうなるんだろ。
わからん俺には。
『回り道してくる自己嫌悪』表現好き
月一日を復讐の日に決める
とてもサイコパス的(極めて合理的)だと笑ってしまった
確かに、恨みに人生を乗っ取られるのは自分にもマイナスが大き過ぎるし、かと言ってスッパリ捨て去れないし、ですよね
流石でございます
「裏あいしてる」というのは納得。無関心という存在自体がどうでもいいが一番の嫌われなわけで。そういう意味では「アンチ」というのも「愛の裏側」からアプローチされてるのかもしれないな。
仏教では慈悲喜捨というのがあって、簡単に言うと他者の不幸を一緒に悲しみ、
他者の幸福を一緒に喜べるようになりましょう、というもの。
修行の目標の一つとしてそんな事が説かれる背景には、人間は根本的に他人(自分以外)なんて
どうでもいい、なんなら「他人の不幸は蜜の味」と感じるようにできているという事ですね。
一部の人は幼い頃からそういうのが当たり前にできたり、受けた恩に対して敏感だったりするけど、
そうじゃない人にとっては他人(親も含めて)がどうなろうと正直どうでもいい、って感じてしまうのも
別に異常ではなくて、むしろありがちなんじゃないかと思います。
サイコパスおぢさんじゃない。♡
岡田さん、やっぱり、頭いい✨
俺の母親は事あるごとに「大人になれば分かる」という理由で色んな理不尽を押し付けてきたが、社会に出て3年で母の言ってることの大半は自己利益のためだったと理解出来たので気兼ねなく全否定出来た。不誠実な行為で人からの信用を裏切るとどうなるか学んだ。狙ってやったのなら母は正常化するはずだが、それが無いので真性だったようだ。
父はバリバリ生きているし、自分も言うてまだ22歳
父のことはそこまで好きじゃない(と思う)けど、この動画を見て、自分はどうだろうかと考えていたら泣いてしまった。ちくしょう