よく老後1人だったら寂しいし孤独死になるから結婚しろと言う意見がある。1人の自由を取る人生か結婚をして不自由だけど老後困らない人生を取るかみたいな議論がある。だいたいそんな観点で結婚するわけじゃないだろう?それに3割は離婚するし結婚しない人だって多いらしい。配偶者がいなくてもそれなりの人生があるだろう、ひとつ思う事は何日も誰とも喋らなかったら気が狂うんじゃないかと想像出来ること。友達と言っても他人には裏切られる場合があるので信用できない。家族で自分が最後まで生き残る事にはなりたくないと思うw
幻冬舎新書の耐えられない軽さを適切に尻切れ蜻蛉と表現されるの、流石だと感じました。 同調圧力と闘う人達は何時も孤独ですね、フランスの独居老婦人の暮らし向きが綴られたエッセイの自然体とは違う趣きを感じました、読んでみます。
人に妬まれたり裏切られたり蔑まれたり利用されたりしたんで人と関わるのしんどいんですよね…自分が必要な時に出向いて会話する位がちょうど良いよな、って。精神患ってるから人に逢いたくない時もあるし…孤独にならざるを得ないなぁ、ま、人間死ぬかサヨナラだけが人生だなって思うので孤独万歳です☺️✨誰も傷付かない、迷惑かけない、傷付けない方法なので、寂しいのも多分慣れると思うし
孤独を愛せというのはその通りだと思うんですけど、その話は2500年以上前にゴータマブッダという人がすでに言っていて、あたかも自分が発見したかのように言っているけど、車輪を再発明しているだけに感じてしまいますね。ブッダは、同じ目的を共有できるのであれば仲間となればいいし、共有できないのなら、ただ独り歩めと力強くおっしゃっています。現代人は仏教の開祖から学ぶべきことが多いと思います。
孤独を肯定する必要はないけど、うがった見方かもしれないけど人間は他人と同じ能力が無いと孤独になります。 常に同じ土俵にいないと話ができないのです、仕事・競技・趣味でも同じです、G7の首脳同士の会談でも言語ができないとコミュニケーションが取れず黙ったままになります。 そう一定のレベルの能力のもの同士が疑似的に仲良くなるのが友達であると感じる、疑似友達が多い人ほど本当は孤独なのかもしれない。
図書館で朝から夕方まで勉強している奴なんか土日は一人の奴が多いけど問題が解けなければ孤独どころじゃないだろう美大に通っている奴だって課題が終わるまで一人でガチャガチャ作る羽目になるし何かをやっている延長で少し話すとかたまに遊ぶ程度で良いどうせ学校が変わったり会社に行き始めたら近所でも会わないし、連絡とっても忙しいとかそういうオチだ人間なんて勝手なんだからさ、寂しいとか言っている場合じゃない、世間がそうしろと命令した訳でも無いし、自分でそう考えているだけやる事、考える事は沢山あるのに、そんな事に悩んでも夕方になって結論が出ずに1日が終わる それでいいのか?ルールを守り、人様に迷惑さえかけなければ良いんだよ
「結婚に興味ありません」「友達いりません」「お金に興味ありません」「彼女は欲しくありません」などのマジョリティーな価値観に対するアンチテーゼを主張しても、マジョリティー側の人達が自分たちが努力して獲得した「友達。パートナー。金。」そして、その価値観を否定されたと勘違いして、攻撃してくるから注意。「〇〇できない人間の言い訳」と言われるかもね。 つまるところ、その主張が「言い訳」なのか「本心」なのか他人に証明するのは難しい。「友達を作ろうと思ったら作れるけど、必要ないから作らない」状態に自分を到達させていないと「友達いらない」理論を他人に納得させることは困難だ。「友達を作る能力がないし、本心で友達は必要ないと考えている」という主張は認めてもらえないわけだ。 そもそも、「ある分野に対して才能を持っていなくて、興味もない」なんて、誰でも2~3分野は持っているはず。例えば、「私、歌に興味ないんだよね」という言葉に対して「君が音痴なだけでしょ?本心では上手に歌いたいんでしょ?」というリアクションはしない。「歌に興味のない人もいるよね」程度の反応で終わる。 一方で、人生の根幹に関わる分野(結婚、友達、金など)においては、「(友達を作る)才能がないだけだろ?」というツッコミが入ってしまう。「(友達を作る)興味がない」という状態が世間では許されないから。
「成功者」なる語が躊躇なく出る。金持ちになれば成功者なのか?多分、私は好きなことをしてて、(金持ちという意味ではないけど)他人から見ると羨ましい部類に入ると思う。でも私は内から見れば、こうしたい、こうなればいいと思いながら、人間の限界を感じる、否感じない存在でもある。私は小学生の自主勉の先生でもある。小学校の道徳の教本に「(他人に)親切な人になろう」「挨拶をしよう」「友達を作ろう」とかの題材をしばしば見る。これをそのまま学習すると「友好を好み、他人の危なさを感じとれない無防備な」大人になるような感じがする。最後に、下重氏の本に関してnhkにいた彼女が開き直った、と思いました(未読での感想で、読後のとは違うかも?)(この辺りでやめます)
自由に、しかし孤独に。
私は一人で何でもできるので平気なんだけど楽しさを求める時には友達や旦那が必要なのです。
amazonレビューも岡田さんが読むと可笑しい
大人になってから友達作ると面倒な事に巻き込まれる事が多い
やりたい事って結局、孤独にならないと出来なかったりもしますね。ピアノと筋トレを趣味にして、仕事で絵を描いて。今最高の日々を送っています。
友達に意義とか定義なんていらねぇんだ。感情論で良いんだよ。好きだから、嫌いだからで友達付き合いすればいいんだ。
そんな本、どうでもいいけど。
”友達”と”親友”は単なる思い込み、幻想です。
そんな者は存在しません。
一人の方が楽なのは確かだけど、友人に助けられることは多いからライトな友人は多く作るべきだと思う
幸せに生きるなり、幸せになる、そんkためにいんねん。わからやろう。
1人が好きです。友達が必要なのは笑い合うためと世の中の大半は無駄であることを確認するためだと思っています。
村社会の抑圧に耐える 寂しくない人は幸せかと言えば そうじゃそうじゃない場合も多々ある。それの裏返し。
財布として使う
松尾スズキさん著の【野蛮人入門】もオススメです
よく老後1人だったら寂しいし孤独死になるから結婚しろと言う意見がある。1人の自由を取る人生か結婚をして不自由だけど老後困らない人生を取るかみたいな議論がある。だいたいそんな観点で結婚するわけじゃないだろう?それに3割は離婚するし結婚しない人だって多いらしい。配偶者がいなくてもそれなりの人生があるだろう、ひとつ思う事は何日も誰とも喋らなかったら気が狂うんじゃないかと想像出来ること。友達と言っても他人には裏切られる場合があるので信用できない。家族で自分が最後まで生き残る事にはなりたくないと思うw
賢人は孤独にならざるを得ない。
年賀状はもう何年も出したことがない。
もちろん来た年賀状を返したこともない。
なのに未だに年賀状が来る。
そしてそのことで困ったことは一度もない。
幻冬舎新書の耐えられない軽さを適切に尻切れ蜻蛉と表現されるの、流石だと感じました。
同調圧力と闘う人達は何時も孤独ですね、フランスの独居老婦人の暮らし向きが綴られたエッセイの自然体とは違う趣きを感じました、読んでみます。
友達料滞ってるぞ
人に妬まれたり裏切られたり蔑まれたり利用されたりしたんで人と関わるのしんどいんですよね…
自分が必要な時に出向いて会話する位がちょうど良いよな、って。精神患ってるから人に逢いたくない時もあるし…孤独にならざるを得ないなぁ、ま、人間死ぬかサヨナラだけが人生だなって思うので孤独万歳です☺️✨誰も傷付かない、迷惑かけない、傷付けない方法なので、寂しいのも多分慣れると思うし
孤独を愛せというのはその通りだと思うんですけど、その話は2500年以上前にゴータマブッダという人がすでに言っていて、あたかも自分が発見したかのように言っているけど、車輪を再発明しているだけに感じてしまいますね。
ブッダは、同じ目的を共有できるのであれば仲間となればいいし、共有できないのなら、ただ独り歩めと力強くおっしゃっています。現代人は仏教の開祖から学ぶべきことが多いと思います。
アマゾンの上位レビューがいう孤独は孤立 それも他に選択肢のないやつ
下重さんのは 選択的孤独 多分
孤独のが楽しいよ
無駄に気使うのめんどくさいもん
友人関係で仕事の効率も変わるらしいね。
孤独を肯定する必要はないけど、うがった見方かもしれないけど人間は他人と同じ能力が無いと孤独になります。 常に同じ土俵にいないと話ができないのです、仕事・競技・趣味でも同じです、G7の首脳同士の会談でも言語ができないとコミュニケーションが取れず黙ったままになります。 そう一定のレベルの能力のもの同士が疑似的に仲良くなるのが友達であると感じる、疑似友達が多い人ほど本当は孤独なのかもしれない。
本来人は1人で生きていくものなんだけどね。人が増えすぎて共生していくのが当たり前になってるけど困った時だけ助け合えれば後は干渉すべきじゃない。
図書館で朝から夕方まで勉強している奴なんか土日は一人の奴が多いけど問題が解けなければ孤独どころじゃないだろう
美大に通っている奴だって課題が終わるまで一人でガチャガチャ作る羽目になるし
何かをやっている延長で少し話すとかたまに遊ぶ程度で良い
どうせ学校が変わったり会社に行き始めたら近所でも会わないし、連絡とっても忙しいとかそういうオチだ
人間なんて勝手なんだからさ、寂しいとか言っている場合じゃない、世間がそうしろと命令した訳でも無いし、自分でそう考えているだけ
やる事、考える事は沢山あるのに、そんな事に悩んでも夕方になって結論が出ずに1日が終わる それでいいのか?
ルールを守り、人様に迷惑さえかけなければ良いんだよ
めんどくさい
「結婚に興味ありません」「友達いりません」「お金に興味ありません」「彼女は欲しくありません」などのマジョリティーな価値観に対するアンチテーゼを主張しても、マジョリティー側の人達が自分たちが努力して獲得した「友達。パートナー。金。」そして、その価値観を否定されたと勘違いして、攻撃してくるから注意。
「〇〇できない人間の言い訳」と言われるかもね。
つまるところ、その主張が「言い訳」なのか「本心」なのか他人に証明するのは難しい。
「友達を作ろうと思ったら作れるけど、必要ないから作らない」状態に自分を到達させていないと「友達いらない」理論を他人に納得させることは困難だ。
「友達を作る能力がないし、本心で友達は必要ないと考えている」という主張は認めてもらえないわけだ。
そもそも、「ある分野に対して才能を持っていなくて、興味もない」なんて、誰でも2~3分野は持っているはず。
例えば、「私、歌に興味ないんだよね」という言葉に対して「君が音痴なだけでしょ?本心では上手に歌いたいんでしょ?」というリアクションはしない。
「歌に興味のない人もいるよね」程度の反応で終わる。
一方で、人生の根幹に関わる分野(結婚、友達、金など)においては、「(友達を作る)才能がないだけだろ?」というツッコミが入ってしまう。
「(友達を作る)興味がない」という状態が世間では許されないから。
友達は3人〜5人いたら最高。大勢いたらクソ邪魔すぎる。SNSとか煩わしすぎて吐きそう。
…嫁も3〜5人欲しい。
「成功者」なる語が躊躇なく出る。金持ちになれば成功者なのか?多分、私は好きなことをしてて、(金持ちという意味ではないけど)他人から見ると羨ましい部類に入ると思う。でも私は内から見れば、こうしたい、こうなればいいと思いながら、人間の限界を感じる、否感じない存在でもある。私は小学生の自主勉の先生でもある。小学校の道徳の教本に「(他人に)親切な人になろう」「挨拶をしよう」「友達を作ろう」とかの題材をしばしば見る。これをそのまま学習すると「友好を好み、他人の危なさを感じとれない無防備な」大人になるような感じがする。最後に、下重氏の本に関してnhkにいた彼女が開き直った、と思いました(未読での感想で、読後のとは違うかも?)(この辺りでやめます)
皆逆張りしてるだけだよな?
偏屈過ぎないか?友達居ないの?
孤独を選択できる立場ならいいかもしれんが
大抵の人間は不可避的に孤独に押し込まれているにすぎない