要はマーレが中国と朝鮮半島で,パラディ島が日本だろ。今回のガビが歴史認識を訴えてるのが完全に日本と特定アジアとの関係の根本。イェーガー派は極右でその他の調査兵団は中道。エレンは謂わば桜井誠のような思想。
東大生の勉強になった漫画に選ばれるだろうと思って見てたのに諌山先生の貴重なコメントを録画してなくて悔やんでたので、大変ありがたいです!超簡潔に物語そのものずばりを語るコメントで、なんて頭いい人なんだと思いました。
進撃の今までの内容で分からないことがあるので教えてほしいです 1.なぜパラディ島のエルディア人とレベリオ収容区(ライナーの母など)は仲良くないのでしょう?同じ人種なのにあそこまで嫌っている理由が分かりません。 2.ラーラタイバーが巨人化した時エレンを食べずに殺そうとする描写がありましたがなぜ食べて始祖の力を奪おうしなかったのでしょうか? 分かる方教えてほしいです
最新話まで読んで、アニメのシーズン3でわからないところがあったので誰か答えてくださるとうれしいです。ジークは、パーフェクトゲームでエルヴィン達に石を投げつけていた時、始祖をエレンが持っているだろうことはライナーたちに聞いてわかっていたはずなのに、このままジークたちが勝利してエレン(始祖の巨人)をマーレに持ち帰ることになっていても良かったのでしょうか。始祖をマーレに持ち帰ってしまったら、安楽死計画はおそらくできなかったですよね。
自分は漫画やアニメ全般に詳しいわけじゃないから、鬼滅とか呪術とか流行りのものぜんっぜんわからないけれど、この歴史に名を残す大作の結末を、こういう場でみんなそれぞれの考察を共有しながら見届けられるっていう状況がもう、誇らしくってしょうがない!!!♡ だから、タキさんありがとうございます、感謝しかないです!
タキさんに聞きたいことがあるんですが、ユミルの民って王家の血は入ってないんですよね?でも、始祖ユミルが死ぬ↓マリア、ローゼ、シーナの3人の娘に巨人の力が引き継がれる↓子孫(ユミルの民)を増やしていく&巨人の力が9つに分かれる(多分) この2つ目の「マリア、ローゼ、シーナの3人の娘に巨人の力が引き継がれる」に関してなんですけどマリア、ローゼ、シーナは始祖ユミルとフリッツ王の子供であり、王家の血を引いてますよね?だとすると、その後に増えたユミルの民にも王家の血が引き継がれているのでは?ということです。始祖ユミルの血を引いているのは3人の娘達だけでありその3人からしかユミルの民が増えないのならば、エレン達も王家の血を引いているということになるのではと思いました…。私もこの辺は理解したつもりだったのですが、ふと気になって質問しました…。私がそもそもの間違いをしている可能性も十分にありますので間違って認識しているのならばそこも指摘して教えてほしいです…。
先日『川島・山内のマンガ沼』という番組で、森川ジョージ先生(はじめの一歩)が、ネームをお描きになっている時、ご自身がお考えになっていた結末とは違う方向にストーリーが進んでしまう時があるというお話を、されておられました。 諫山先生にも『これが最後のコマなんです』とおっしゃっておられましたが、最後まで自由な心で作品作りをしてほいいなと思ってます。『あれ?最後のカット、違うやん!』となっても、怒る読者はいませんので。笑。 ちなみに、ちばてつや先生(あしたのジョー)は、ペン入れの段階でも変わることがあるそうです。長文、失礼いたします。
なるほど、やはり「正義はその者の立つ立ち位置によって異なる」事を描くように諫山先生は意識してましたか。大体、このチャンネルでも「エレンの地鳴らし肯定派」と「否定派」に分かれてた時期があった。諫山先生の計画通りという訳か!そういう訳だね! 『善なるものは吾、これを善とし、不善なるものも吾、またこれを善とす』 善には絶対性は無い。ある者にとっての善は、あるものにとっては悪だ。諫山先生。若干30代の若者が、既に紀元前の哲学者、老子の域に達していた。 いや、いくら何でもそこまでは誉めないよ。先生。諫山先生も私も、過去の色々な作品から価値観の影響を受けて、今がある。ん~とね、最近ガンチャンで公開してた「機動戦士(ファースト)ガンダム3部作」は初公開は随分前の作品だけど、既に連邦が善なのかジオンが善なのか分からない描き方になっていた。平成の最初に事実上ファーストをリメイクして「機動戦士ガンダムSEED」も内容はほぼ同じだけど、作りはもう少し強烈になっていて、連合が正しいのかザフトが正しいのか主人公は、迷い、結局連合を抜けて第3勢力になる。「どっちも悪いだろ?」という、言わば俯瞰している神の視点になる。もっと強烈にすると、「機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)」になる。戦争自体を悪と見なし、最初からどこの国にも所属していない。中立だが、「自らが悪としている武力行使」に矛盾を感じながらも、「強烈に武力行使」する。実写で分かりやすいのは、クリント・イーストウッド。「硫黄島の戦い」を日本側の正義の視点とアメリカ側の正義の視点を分けて、同じ戦いで2本映画を撮っている。チョー直接的な比較対称。「絶対善や普遍的善は無い」とイーストウッドも言っている。諫山もガンダムもイーストウッドも、直接・間接に、何かから影響を受けていない人はいない。諫山先生も私も、これまでの作品があったお陰で、既に老子と同じ結論に、老子より早く達している。色んな人の積み重ねが無ければ、決して出来ない。 焼きそばに卵?何にでも卵だなあ!まあ、卵は栄養価が高いからね! 結末がHAPPYか?BADか?この問いも、変な問いだ。さっき諫山先生が「立ち位置によって何が善かは異なる」と答えたでしょ?ならば、立ち位置によって何がHAPPYかも異なるはずだ。愚問だね~。マンガを読む時は私にはいつも2つの目線がある。1に、普通の読者目線。2つに、作家目線。昔マンガ家を目指していたから癖になって、意識せずとも自然といつもそうなっている(これがアニメを見る時には余り無い。アニメ製作者になりたいとは思わなかったから。意識してそうしないと、その視点になれない)。読者目線には物語エンドにHAPPYとBADがある。が、作家目線には無い。HAPPYの定義が人によって異なるからだ。私が読者目線で望んでいたHAPPYエンドは、地鳴らしが止まり、全人類までは滅亡しないエンド。もはや読者目線の私には、「進撃の巨人」はHAPPYエンドだ!残り2話でひっくり返る可能性はまあ、少しあるが、諫山先生は残り2話で別な話をすると思う。精神の内面性重視の話だ。あと、「いってらっしゃい」等の伏線回収。将軍家の伏線は消しても物語は死なないが、「いってらっしゃい」の伏線は消せば物語に整合性が取れなくなる。必ず、回収されるはず。ただ、リヴァイが今のまま最後まで生き残るのは、しっくりこない。何か、あるだろう。多分何人か、死ぬ。作家目線での私には、HAPPYもBADも無い。諫山先生も、同じ答えでしょ?だが一般に読者にとってのHAPPYエンドってサ、例えば「調査兵団はもうこれ以上死なないで欲しい!」とかサ、「エレンとミカサは結婚して欲しい!」とかサ、「アルミンとアニはくっついて欲しい!」とかでしょ?「鬼滅」のエンドの時も、そうだった。私はリヴァイには個人的には死んで欲しくないが、公的に死んでも悲しくは無い。立派に、役目は果たした。見事だ。人類を救って、死んだ。これ以上のHAPPYがあるか? 無い。 だから作家目線では、平気で殺す。 少し視点を神の視点に近づけると、何のために犠牲が必要か?の話になる。エルヴィン、ハンジは何で死んだ?他の仲間は何で死ぬ必要があった?人類を救うための尊い犠牲か?犠牲にならなけらばなかったのか?他人を救うためにか?他人を救うために、人間の立場で自らの命を捨てるのか? いや。彼等は犠牲ではない。彼等は己が死ぬのが己にとってHAPPYだから、だから自ら死を選んだ。己れの思った通りにした。だからHAPPYだ。エルヴィン。知的好奇心の非常に高い彼だから、みんなの事はほっといて、地下室の本が読みたかっただろう。分かる。私も読みたかった。だからだ。私なら、皆を捨てて地下室に行ったかも知れない。が、そんな私よりも、エルヴィンの方が人として格上だ。エルヴィンにとっては地下室の本を読む事より、実は人類のために死ぬ方が価値観として上だった。本人はそう思ってなかったかも知れない。が、神の視点で俯瞰すれば、そう見える。エルヴィンの価値観では、深層心理では「地下室の本の内容」よりも、「人類の生存」の方の価値観の方が上位に位置していた。そう見える。人としての私なら、出来たかどうか、分からない。だから私は団長には不向きだ。ハンジもそうだ。本当はオタクだから、団長より研究者が向いている。が、彼女以上の団長としての逸材は、あの時点で他に居なかった。たから己れを捨て、皆のために死んだ。立派だ。私なら皆を捨て、巨人研究に没頭したかも知れない。彼女は己れの価値観のより上位を取った。だから彼女の死も、HAPPYだ。巨人研究よりも、人類を救いたかったんだろ?ハンジ?立派だ。 だが、彼等を初めとして他の調査兵団の戦死者を含め全員、「強制的に殺された」のか?「自発的に死んだ」のか? 後者だ。調査兵団に入るのは、志願制だ。強制的な徴兵制ではない。皆のために自らの意思で入隊を選んだ。死んでも公的には文句は言えない。「生物学的な意味での、アポトーシス(=自己死)」だ。 前にタキ・チャンネルのいずれかで、話をした。ナイフを持った暴漢が襲いかかってきた時、人は自然と腕を差し出して脳などの急所を守る。反射だ。結果、腕の細胞は死に、中枢細胞は生き残る。最初からDNAにそうプログラムさせている。 神の視点だ。 いざとなったら一部が犠牲になり、全体を守る。神である私は、人類をそう最初からプログラムした。 が、無論、私は神ではない。自然の摂理の結果、そうなった。神が在るとすればその正体はおそらく、その「自然の摂理」に人が名前を付けたものだ。人格は、無い。人ではないから。 が、その自然の摂理でエルヴィンやハンジ、その他の調査兵団の面々は、死んだ。アポトーシスだ。見事、中枢の脳を守った。人類全体を守った。 有り難う。 人として、礼を言う。 だからこう、お気に入りのキャラが死んだからBADだとか何とか、言うなよな?視野が狭いぜ?死んでったキャラは、もっ広い視点で死んでった。尊敬するなら、見倣え。 今日の内容は、ほとんど知らなかった。テレビに余り網を張ってないもんで。漏れてた。 タキさん、有り難う。 人類だ。 最後まで進撃、応援しようぜ!
ここまで何かの作品にはまったことがなく、作者さんに興味を持つことも人生でなかったので諫山先生には素敵な作品に出会わせてくれたことへの感謝しかないです(笑) 推しはアニちゃんですがどんな結末でもエレンを受け入れるつもりです。彼が間違ってると思ったことは一度もありません
江戸時代後期に28年かけて完結した「南総里見八犬伝」初版1842 世界中で読まれ映画化もされた「指輪物語」初版1954 他にも多々数十年数百年前の作品が映画やドラマで再現されリアルタイムで読んでいた人は映像化なんて想像もしなかったでしょうね 「進撃の巨人」も・・・年後現在では想像もできない技術で語り継がれる作品だと思ってます
進撃の巨人は現実の問題への考え方の違いがそのままイェーガー派と調査兵団側どちらに肩入れするかに反映されている気がする…自分の周りで話した感じでは比較的保守の人はエレンとかイェーガー派の地ならし容認で、比較的リベラルな人は調査兵団側の地ならし否定派って印象がある。(個人の感想です)
みんなそれぞれ自分の信じた正義を持っていて誰が悪いとかではないけれど初めて進撃の巨人をアニメで見たあの日から8年間、エレンと一緒に成長してきたようなものだから完全に感情移入しちゃってるし加害者になっても最後までエレンの味方でいたいと思った。
日本の差別主義アニメ大好き右翼が韓国文化や中国文化に興味もったり 黒人音楽聞き出したりするほどの影響力は無いんだよな 変わりに海外の目利きの左翼が自国のアニメ興味ない右翼層まで飛び火して広まっていく過程が見れたのは面白かった
自分は手塚治虫の海のトリトン(TV版監督は富野由悠季)を連想しています。ポセイドン族に滅ぼされたトリトン族最後の生き残りトリトンがポセイドン族を討ち取る話。しかし最後の最後に、海を支配していたトリトン族をポセイドン族が討ち取ったという新事実をトリトンは知ることになる。立場が変われば物の見方が変わる、子供番組としても良く出来ていると思いますが、ある意味トラウマレベルでもありましたw
ふと思ったんだけど、ミカサが頭痛がする瞬間って未来が少し変わった時じゃないかな。言うならバグ的なもの?エレンってゆう進撃の巨人に固執するアッカーマンとして何か繋がりがありそう。序盤の少女を助けた時にした頭痛は元の世界では守れなかったから世界が変わって未来と違うバグが起こったから。だからサシャが死んだ時に頭痛がしなかったのは未来が変わってないから?エレンも笑ってたけど実は悔しそうな口元をしてたし。忙しくて漫画も1周ぐらいしか出来てないから考察甘いかな?
進撃の巨人の描き方は、演出により多角的視点で考えさせられるように作られていて本当に凄いです個人的には諌山先生が読み切り版を含めた進撃の巨人という作品に対して何がやりたいのかを作品内でぶっちゃけているのがメチャクチャに素晴らしいと思っていますねこれができるクリエイターは本当にジャンみたいに稀有の存在ですよ笑
個人的に進撃で気持ちよく読めた点は少年漫画によくありがちなエッチな体つきをした女性(巨乳とか)がいないことです。エロになってないからこそ、世界観に没頭できるというか。(ただしライナーを除く)進撃の女性の体つきの描かれ方が現実的で強い女性が少なくないので。自分が女性でエッチな女性よりもミカサみたいな強くて高身長な女性が憧れなのでミカサを生み出してくださった諌山先生に感謝したいです。
現実の人間が、「善人」であろうと自分を取り繕おうとするなか、自分が「酔っ払ってなければやっていけなかったもの」を追い求めて「自分の手はもう血で染まって」(サネス)いて、「僕達はもう「良い人」じゃないよ」(アルミン)、と、「新しい自分を受け入れ」(リヴァイ)、「私はクソみてぇな人間だからな…(略)…今、生きてあいつに会いたいんだ!!」(ユミル)、「悪魔を生き返らせるのが自分の生きる使命」(フロック)と、それぞれが「自分の都合を通して」(ハンジ)、進み「戦い続けて」(エレン)、散っていった名もなき進撃の兵士達は私の人生に生きる意味を与えてくれました。
進撃の巨人読者の読解力が上がる理由の8割はライナー
こんな複雑な話を第一話から12年間ぶっ続けで同じ緊張感維持しながら描けるなんて、どんな変態だろうと思ってたけど、インタビューからは非常にバランス感覚に優れた人物であることが分かる。
要はマーレが中国と朝鮮半島で,パラディ島が日本だろ。今回のガビが歴史認識を訴えてるのが完全に日本と特定アジアとの関係の根本。イェーガー派は極右でその他の調査兵団は中道。エレンは謂わば桜井誠のような思想。
物理法則の制限ってかなり無視してないか。。。。?
東大生の勉強になった漫画に選ばれるだろうと思って見てたのに
諌山先生の貴重なコメントを録画してなくて悔やんでたので、大変ありがたいです!
超簡潔に物語そのものずばりを語るコメントで、なんて頭いい人なんだと思いました。
タキさんの今日の服装、一瞬兵団のマントかと思いました
最後の赤ん坊はエレンとヒストリアの子だといいよね。
石投げたモブキャラが最後ってのはあまりに、不自然でつまらないと感じてきた。
タキさん、極楽湯の進撃コラボグッズ買いましたか?
タオルかっこいいですよ!
進撃の今までの内容で分からないことがあるので教えてほしいです
1.なぜパラディ島のエルディア人とレベリオ収容区(ライナーの母など)は仲良くないのでしょう?同じ人種なのにあそこまで嫌っている理由が分かりません。
2.ラーラタイバーが巨人化した時エレンを食べずに殺そうとする描写がありましたがなぜ食べて始祖の力を奪おうしなかったのでしょうか?
分かる方教えてほしいです
進撃の巨人はファルコに継承されると思う。エレンが見た空を飛んでいる景色は、進撃の巨人の未來視の能力でファルコが空を飛んでいる記憶を見たんじゃないかな。
最新話まで読んで、アニメのシーズン3でわからないところがあったので誰か答えてくださるとうれしいです。
ジークは、パーフェクトゲームでエルヴィン達に石を投げつけていた時、始祖をエレンが持っているだろうことはライナーたちに聞いてわかっていたはずなのに、
このままジークたちが勝利してエレン(始祖の巨人)をマーレに持ち帰ることになっていても良かったのでしょうか。
始祖をマーレに持ち帰ってしまったら、安楽死計画はおそらくできなかったですよね。
最初からずっとエレン側の視点だったから、鎧とか超大型を攻めてたけど、マーレ側に視点が移った時に「誰も悪くないじゃん」ってはっきり思ったの覚えてる。
私も相手を一方的に責めることがないようにしたいな。
自分は漫画やアニメ全般に詳しいわけじゃないから、鬼滅とか呪術とか流行りのものぜんっぜんわからないけれど、この歴史に名を残す大作の結末を、こういう場でみんなそれぞれの考察を共有しながら見届けられるっていう状況がもう、誇らしくってしょうがない!!!♡
だから、タキさんありがとうございます、感謝しかないです!
想夫恋の焼きそばうまいですよ
(日田の隣の市出身)
兵長の指って結局生えたのかそらともミスか、誰か知ってる人いますか?
この番組たまたまつけたら進撃のことやってたから見たけど、
東大生うんちゃらって言う番組は割と嫌いです(関係なくてごめんなさい)
しかし進撃の巨人がただの巨人と戦う漫画ではないと伝えてくれるのは嬉しい
タキさんに聞きたいことがあるんですが、
ユミルの民って王家の血は入ってないんですよね?でも、
始祖ユミルが死ぬ
↓
マリア、ローゼ、シーナの3人の娘に巨人の力が引き継がれる
↓
子孫(ユミルの民)を増やしていく&巨人の力が9つに分かれる(多分)
この2つ目の「マリア、ローゼ、シーナの3人の娘に巨人の力が引き継がれる」に関してなんですけどマリア、ローゼ、シーナは始祖ユミルとフリッツ王の子供であり、王家の血を引いてますよね?だとすると、その後に増えたユミルの民にも王家の血が引き継がれているのでは?ということです。
始祖ユミルの血を引いているのは3人の娘達だけでありその3人からしかユミルの民が増えないのならば、エレン達も王家の血を引いているということになるのではと思いました…。
私もこの辺は理解したつもりだったのですが、ふと気になって質問しました…。私がそもそもの間違いをしている可能性も十分にありますので間違って認識しているのならばそこも指摘して教えてほしいです…。
神だぞ神!
進撃の巨人を見た人々絶対後悔してねぇーだろ
諫山先生 「第9地区」 好きだったんだ!
人だけでなくエイリアン側の気持ちも考えさせられるもので ただのパニック映画じゃありませんでした。
他にもニール・ブロンカンプ監督のSF面白いからオススメですね!
未来のこどもたちに犠牲を残さないために…という観点では、環境問題もまさにそうだよなあと読みながら考えさせられます。
先日『川島・山内のマンガ沼』という番組で、森川ジョージ先生(はじめの一歩)が、
ネームをお描きになっている時、ご自身がお考えになっていた結末とは
違う方向にストーリーが進んでしまう時があるというお話を、されておられました。
諫山先生にも『これが最後のコマなんです』とおっしゃっておられましたが、
最後まで自由な心で作品作りをしてほいいなと思ってます。
『あれ?最後のカット、違うやん!』となっても、怒る読者はいませんので。笑。
ちなみに、
ちばてつや先生(あしたのジョー)は、ペン入れの段階でも変わることがあるそうです。
長文、失礼いたします。
なるほど、やはり「正義はその者の立つ立ち位置によって異なる」事を描くように諫山先生は意識してましたか。大体、このチャンネルでも「エレンの地鳴らし肯定派」と「否定派」に分かれてた時期があった。諫山先生の計画通りという訳か!そういう訳だね!
『善なるものは吾、これを善とし、不善なるものも吾、またこれを善とす』
善には絶対性は無い。ある者にとっての善は、あるものにとっては悪だ。諫山先生。若干30代の若者が、既に紀元前の哲学者、老子の域に達していた。
いや、いくら何でもそこまでは誉めないよ。先生。諫山先生も私も、過去の色々な作品から価値観の影響を受けて、今がある。ん~とね、最近ガンチャンで公開してた「機動戦士(ファースト)ガンダム3部作」は初公開は随分前の作品だけど、既に連邦が善なのかジオンが善なのか分からない描き方になっていた。平成の最初に事実上ファーストをリメイクして「機動戦士ガンダムSEED」も内容はほぼ同じだけど、作りはもう少し強烈になっていて、連合が正しいのかザフトが正しいのか主人公は、迷い、結局連合を抜けて第3勢力になる。「どっちも悪いだろ?」という、言わば俯瞰している神の視点になる。もっと強烈にすると、「機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)」になる。戦争自体を悪と見なし、最初からどこの国にも所属していない。中立だが、「自らが悪としている武力行使」に矛盾を感じながらも、「強烈に武力行使」する。
実写で分かりやすいのは、クリント・イーストウッド。「硫黄島の戦い」を日本側の正義の視点とアメリカ側の正義の視点を分けて、同じ戦いで2本映画を撮っている。チョー直接的な比較対称。「絶対善や普遍的善は無い」とイーストウッドも言っている。
諫山もガンダムもイーストウッドも、直接・間接に、何かから影響を受けていない人はいない。
諫山先生も私も、これまでの作品があったお陰で、既に老子と同じ結論に、老子より早く達している。色んな人の積み重ねが無ければ、決して出来ない。
焼きそばに卵?何にでも卵だなあ!まあ、卵は栄養価が高いからね!
結末がHAPPYか?BADか?この問いも、変な問いだ。さっき諫山先生が「立ち位置によって何が善かは異なる」と答えたでしょ?ならば、立ち位置によって何がHAPPYかも異なるはずだ。愚問だね~。
マンガを読む時は私にはいつも2つの目線がある。1に、普通の読者目線。2つに、作家目線。昔マンガ家を目指していたから癖になって、意識せずとも自然といつもそうなっている(これがアニメを見る時には余り無い。アニメ製作者になりたいとは思わなかったから。意識してそうしないと、その視点になれない)。読者目線には物語エンドにHAPPYとBADがある。が、作家目線には無い。HAPPYの定義が人によって異なるからだ。
私が読者目線で望んでいたHAPPYエンドは、地鳴らしが止まり、全人類までは滅亡しないエンド。もはや読者目線の私には、「進撃の巨人」はHAPPYエンドだ!残り2話でひっくり返る可能性はまあ、少しあるが、諫山先生は残り2話で別な話をすると思う。精神の内面性重視の話だ。あと、「いってらっしゃい」等の伏線回収。将軍家の伏線は消しても物語は死なないが、「いってらっしゃい」の伏線は消せば物語に整合性が取れなくなる。必ず、回収されるはず。
ただ、リヴァイが今のまま最後まで生き残るのは、しっくりこない。何か、あるだろう。多分何人か、死ぬ。
作家目線での私には、HAPPYもBADも無い。諫山先生も、同じ答えでしょ?
だが一般に読者にとってのHAPPYエンドってサ、例えば「調査兵団はもうこれ以上死なないで欲しい!」とかサ、「エレンとミカサは結婚して欲しい!」とかサ、「アルミンとアニはくっついて欲しい!」とかでしょ?「鬼滅」のエンドの時も、そうだった。
私はリヴァイには個人的には死んで欲しくないが、公的に死んでも悲しくは無い。立派に、役目は果たした。見事だ。人類を救って、死んだ。これ以上のHAPPYがあるか?
無い。
だから作家目線では、平気で殺す。
少し視点を神の視点に近づけると、何のために犠牲が必要か?の話になる。エルヴィン、ハンジは何で死んだ?他の仲間は何で死ぬ必要があった?人類を救うための尊い犠牲か?犠牲にならなけらばなかったのか?他人を救うためにか?他人を救うために、人間の立場で自らの命を捨てるのか?
いや。彼等は犠牲ではない。彼等は己が死ぬのが己にとってHAPPYだから、だから自ら死を選んだ。己れの思った通りにした。だからHAPPYだ。
エルヴィン。知的好奇心の非常に高い彼だから、みんなの事はほっといて、地下室の本が読みたかっただろう。分かる。私も読みたかった。だからだ。私なら、皆を捨てて地下室に行ったかも知れない。が、そんな私よりも、エルヴィンの方が人として格上だ。エルヴィンにとっては地下室の本を読む事より、実は人類のために死ぬ方が価値観として上だった。本人はそう思ってなかったかも知れない。が、神の視点で俯瞰すれば、そう見える。エルヴィンの価値観では、深層心理では「地下室の本の内容」よりも、「人類の生存」の方の価値観の方が上位に位置していた。そう見える。人としての私なら、出来たかどうか、分からない。だから私は団長には不向きだ。
ハンジもそうだ。本当はオタクだから、団長より研究者が向いている。が、彼女以上の団長としての逸材は、あの時点で他に居なかった。たから己れを捨て、皆のために死んだ。立派だ。私なら皆を捨て、巨人研究に没頭したかも知れない。彼女は己れの価値観のより上位を取った。だから彼女の死も、HAPPYだ。巨人研究よりも、人類を救いたかったんだろ?ハンジ?立派だ。
だが、彼等を初めとして他の調査兵団の戦死者を含め全員、「強制的に殺された」のか?「自発的に死んだ」のか?
後者だ。調査兵団に入るのは、志願制だ。強制的な徴兵制ではない。皆のために自らの意思で入隊を選んだ。死んでも公的には文句は言えない。「生物学的な意味での、アポトーシス(=自己死)」だ。
前にタキ・チャンネルのいずれかで、話をした。ナイフを持った暴漢が襲いかかってきた時、人は自然と腕を差し出して脳などの急所を守る。反射だ。結果、腕の細胞は死に、中枢細胞は生き残る。最初からDNAにそうプログラムさせている。
神の視点だ。
いざとなったら一部が犠牲になり、全体を守る。神である私は、人類をそう最初からプログラムした。
が、無論、私は神ではない。自然の摂理の結果、そうなった。神が在るとすればその正体はおそらく、その「自然の摂理」に人が名前を付けたものだ。人格は、無い。人ではないから。
が、その自然の摂理でエルヴィンやハンジ、その他の調査兵団の面々は、死んだ。アポトーシスだ。見事、中枢の脳を守った。人類全体を守った。
有り難う。
人として、礼を言う。
だからこう、お気に入りのキャラが死んだからBADだとか何とか、言うなよな?視野が狭いぜ?死んでったキャラは、もっ広い視点で死んでった。尊敬するなら、見倣え。
今日の内容は、ほとんど知らなかった。テレビに余り網を張ってないもんで。漏れてた。
タキさん、有り難う。
人類だ。
最後まで進撃、応援しようぜ!
いつも予想の遥か上の展開で、一周回って予想することを辞めてしまったので、最終回はどうなっても受け止められる無の心を手に入れた。
ここまで何かの作品にはまったことがなく、作者さんに興味を持つことも人生でなかったので諫山先生には素敵な作品に出会わせてくれたことへの感謝しかないです(笑)
推しはアニちゃんですがどんな結末でもエレンを受け入れるつもりです。彼が間違ってると思ったことは一度もありません
江戸時代後期に28年かけて完結した
「南総里見八犬伝」初版1842
世界中で読まれ映画化もされた
「指輪物語」初版1954
他にも多々数十年数百年前の作品が
映画やドラマで再現され
リアルタイムで読んでいた人は映像化なんて想像もしなかったでしょうね
「進撃の巨人」も・・・年後
現在では想像もできない技術で語り継がれる作品だと思ってます
進撃の巨人は現実の問題への考え方の違いがそのままイェーガー派と調査兵団側どちらに肩入れするかに反映されている気がする…
自分の周りで話した感じでは比較的保守の人はエレンとかイェーガー派の地ならし容認で、比較的リベラルな人は調査兵団側の地ならし否定派って印象がある。(個人の感想です)
ハッピーエンドか否か、って結局それも個人の主観でしかないから、そういう視点で終わらせようとしていない先生めちゃくちゃ信頼できる。
完全になる善や悪が存在しないと思ってる兵長のこと一番正しいじゃない。やってる時はつらい、終わったら寂しい。早く解放されるといいね
ガビとサシャの事なんて全世界の読者を巻き込んでる。流石諫山先生!
みんなそれぞれ自分の信じた正義を持っていて誰が悪いとかではないけれど初めて進撃の巨人をアニメで見たあの日から8年間、エレンと一緒に成長してきたようなものだから完全に感情移入しちゃってるし加害者になっても最後までエレンの味方でいたいと思った。
日本の差別主義アニメ大好き右翼が
韓国文化や中国文化に興味もったり
黒人音楽聞き出したりするほどの影響力は無いんだよな
変わりに海外の目利きの左翼が自国のアニメ興味ない右翼層まで飛び火して
広まっていく過程が見れたのは面白かった
今4巻を見直しましたが全話面白かったです。
私は連載当時からミカサが大好きで、そのミカサが最後にエレンと幸せに暮らせていけたらいいなと願ってます。ミカサとエレンが幸せに暮らせたら私はもうどんな結末であろうと生きていけます
自分は手塚治虫の海のトリトン(TV版監督は富野由悠季)
を連想しています。
ポセイドン族に滅ぼされたトリトン族最後の生き残りトリトンがポセイドン族を討ち取る話。
しかし最後の最後に、海を支配していたトリトン族をポセイドン族が討ち取ったという新事実をトリトンは知ることになる。
立場が変われば物の見方が変わる、子供番組としても良く出来ていると思いますが、ある意味トラウマレベルでもありましたw
ふと思ったんだけど、ミカサが頭痛がする瞬間って未来が少し変わった時じゃないかな。言うならバグ的なもの?
エレンってゆう進撃の巨人に固執するアッカーマンとして何か繋がりがありそう。
序盤の少女を助けた時にした頭痛は元の世界では守れなかったから世界が変わって未来と違うバグが起こったから。だからサシャが死んだ時に頭痛がしなかったのは未来が変わってないから?エレンも笑ってたけど実は悔しそうな口元をしてたし。
忙しくて漫画も1周ぐらいしか出来てないから考察甘いかな?
進撃の巨人の描き方は、演出により多角的視点で
考えさせられるように作られていて本当に凄いです
個人的には諌山先生が読み切り版を含めた
進撃の巨人という作品に対して何がやりたいのか
を作品内でぶっちゃけているのがメチャクチャに
素晴らしいと思っていますね
これができるクリエイターは本当にジャンみたいに稀有の存在ですよ笑
東大生の〜漫画6位以上気になりすぎる
この作品(最終話にかけての盛り上がり)をリアルタイムで楽しめる事が幸せ。こんな感情AKIRA以来ですよ。
最近、「この人が確実に悪いだろ」と日常で思わなくなりました。この漫画を読むと『この人にもこの人の立場、バックグラウンドがあるもんな』と考え方を変えて物事や人を見るようになったのはこの漫画のおかげです。
私は世界観や立体機動装置を用いた戦闘シーンを楽しんでるタイプなので
誰が正義とか、現実世界の問題と結び付けたりとかはあえて考えないようにしてます。
あえて言うならカッコイイのが正義ですね(笑)
タキさんの動画ほとんどノーカットなのに、最後だけカット鬼厳しいの好きw
8:20 それではまt…
海外の多くの人はナチスとユダヤに置き換えてるけど、もっと広い視点、民族問題とか戦争そのものとして捉えないとこの作品を見た意味が薄れちゃう気がする。
個人的に進撃で気持ちよく読めた点は少年漫画によくありがちなエッチな体つきをした女性(巨乳とか)がいないことです。
エロになってないからこそ、世界観に没頭できるというか。(ただしライナーを除く)
進撃の女性の体つきの描かれ方が現実的で強い女性が少なくないので。
自分が女性でエッチな女性よりもミカサみたいな強くて高身長な女性が憧れなのでミカサを生み出してくださった諌山先生に感謝したいです。
現実の人間が、「善人」であろうと自分を取り繕おうとするなか、自分が「酔っ払ってなければやっていけなかったもの」を追い求めて「自分の手はもう血で染まって」(サネス)いて、「僕達はもう「良い人」じゃないよ」(アルミン)、と、「新しい自分を受け入れ」(リヴァイ)、「私はクソみてぇな人間だからな…(略)…今、生きてあいつに会いたいんだ!!」(ユミル)、「悪魔を生き返らせるのが自分の生きる使命」(フロック)と、それぞれが「自分の都合を通して」(ハンジ)、進み「戦い続けて」(エレン)、散っていった名もなき進撃の兵士達は私の人生に生きる意味を与えてくれました。