個人的には、原作で演説の「力を合わせれば…」のくだりでエレンがすごく悲しそうな顔をしたカットは残して欲しかった…。パラディ島の人間だけがその中に入っていないのだという悲しみだと思ったから。。134話の演説の後読み返すとすごく切ない。
ニキのリアクション動画でみたんだけどタイバー家の子供達のオモチャのシーン、1話に出てきてた!ほんの一瞬なのに、あのニキよくわかったよなー。しかも、原作にはないんですよ。アニメ化するとき、諫山先生が指示したんでしょうね。なんかトリハダたった。
ヴィリーの演説で、原作では世界中で語られてきた歴史を【真実】タイバー家が受け継いできた歴史を【事実】としていましたが、アニメは逆になっていました。真実と事実では意味が異なりますが、入れ替えたのは何か意図があったのでしょうか。
64話の次回予告に出てたエレン巨人の左目って、33巻表紙の進撃の巨人の目に似てますよね、白い感じが。片目だけ白いのって何か意味あるんですかね。。ユミルちゃんに支配されつつある的な…?それとも特に意味はないのか。。
カットは尺の都合上仕方ないんだろうけど、巨人化次回にしてでも2人の会話は忠実な感じでもっとライナーの逼迫感見たかった。このあと鎧巨人になったときのライナーの感情がより印象的になりそうだから。ってあれもこれもは無理だよなあ
初見です。ヴィリーが、「私は死にたくありません。なぜなら、私が生まれたからです。」この台詞をエレンが聞いたとき、驚いてるように感じました。エレンも奪還作戦のとき、アルミンとの会話で、「俺が、この世に生まれたからだ!」と言っていました。意味は違えど、同じことをいっていたので、エレンも驚いたのだとおもいます。
いつも楽しく動画見てます。作品への愛が素晴らしいです。「それではまた」のあとのお口がかわいいのと、すぐ切れるところがツボです。笑マインドマップ使いながら考察って新しい!って思ったのと、めちゃくちゃわかりやすくてただただ尊敬です。これからも楽しみにしてます。
エレンがライナーと会った時の心情は「怒り」ではあると思いますが、この怒りは自分に対しての怒りでしょうね。だからファルコに対して「君」から「お前」に変わったんですかね。エレンにとってのライナーとウーリにとってのケニーは同じ立場な気がしますね。
ヴィリー「私は死にたくありません、それは私がこの世に生まれて来てしまったからです」エレンも「俺がこの世に生まれてきたからだ」って言ってたけど、ヴィリーが言うのを聞いて「!」な感じでまばたきするところ。どんな心情だったんだろ。
(俺の母さんは喰われたけど)「世界を救うため」なら仕方ないよなぁ?? のくだりで漫画ではエレンが微妙に下まぶた上げてライナーに対する皮肉っぽい表情してたけど、アニメでは本当に共感してるような感じだった。 ストーリーも演出も曲もアニメ史上最高峰の出来になれるポテンシャルがあっただけに、このシーズンは色々と残念かな。 Mappaには悪いけど..
コルトとジークのキャッチボールは超重要シーンだが普通に消えてて残念。 別にジークが野球好きだからではなく、キャッチボールには「お互いに通じ合ってる」という意味がある。映画でも多用される演出だ。そして漫画ではキャッチボールは失敗している。 マッパ版は省略気味で、この超重要エピソードでこんだけシーンカットをやっているので今後も安心出来ない。オープニングとエンデュングを削ってでも入れるべきだった。
【4】付け足し。 動画が絵の話ではなかったので、付け足しは特にありません。 ガヤね。昔からのアニメ製作の伝統でもあるし、一人に複数を担当させれば製作コスパも上がりますが、不特定多数のガヤの声をあるステータスに達した声優が演じてしまうと、新人声優のデビューや経験の場が1つ失われますので、痛し痒しですね。将来の声優の育成を考えれば、ガヤは新人だけで担当が望ましいです。
【サムネだけで判断その2:カラー画と白黒画とではは目的や技法が違うの巻】 実線でペン入れした段階でイメージからズレますが、着色すると更にイメージからズレます。要するに、脳でイメージしていたものを実体化させて定義している幅が大きくさせるほど、イメージからズレるのです(一般に日本では3DCGアニメは不評なケースが多いですが、その理由の1つが受け手側が自由な想像で補っていた2次元の絵に欠けていた部分が、製作側によって全て定義されて、そこにズレを感じてしまうからでしょうね)。が、演出上特別な意図がある場合を除き、アニメ化では着色するのが基本。自ずと印象は異なりますが、実はマンガは(基本は)白黒である事を逆に逆手に取っている技法を取り入れているのです。マンガ技法の元の元が何であるか?と源流を遡ると、「水墨画」に行き着きます。水墨画は中国で始まりましたが、それは見たものをそのままに描く写実派として始まりました。当時は写真機が無いので、その代わりとうことです。ところが日本では、見たものをそのまんまではなく、自分の心の目で捉えた印象を重視する印象派として発達しました。見たまんまではないので作者の個人的な心象としてデフォルメが加わっており、これがマンガの絵的な部分の原型と言えるでしょう。この白い和紙に墨の濃淡だけで色の濃淡や明暗を表現する独特の技法は西洋ではなく日本においてのみ進化したので、日本だけに特別にマンガ文化が発展し、結果として根付いたと言えます。一方、米国にはその土台となる文化はまるで無いので、全てを写実的に定義する3DCGが不自然に受け取られていないと合わせて言えるでしょう。
【サムネだけで判断その1:目は口ほどにものを言うの巻】 きむ兵衛の絵描き脳が作動したぞ!絵話に対して鬼太郎の髪の毛の妖怪レーダーのように敏感に反応する!以下にタキさんのサムネだけで判断した「原作の絵に対するアニメ改修点」について論じます。実際に動画を見て補足があれば、別途で書きます。原作のネタバレと言うより、美術史的なマンガ史のネタバレを含みます。 その原作とアニメのエレンのカットで違うのは、まあ、眼帯の大きさも違いますが、もっと本質論で言うと、瞳の描き方(の違いから受ける印象)が違います。自分で絵を描くと分かりますが、人物画の中で一番難しいパートが「瞳」です。ちょっとした微細なタッチでまるで表情が異なってしまい、最初にイメージしたことからズレていくのです。誤魔化しが一切効きません。前に「SLAM DUNK」の井上雄彦先生がNHK「ザ・プロフェッショナル/仕事の流儀」に出演したことがあり、何かの企画で壁一面に大きな「バガボンド」の宮本武蔵を描いていました。私の目からは十分に完成度が高い素晴らしい絵に見えたのですが、描いている井上先生自身は「何かが違う…」とどうしても納得が行かない様子。しばらく悩みながら、何度も何度もやり直してました。何なのかはイメージした井上先生にしか分かりません。マンガ家の仕事人としての部分は作品を〆切という納期以内に納めなくてはならないので、ある程度で妥協せざるを得ませんが、〆切無しの場合は芸術家として振る舞い、完璧主義になるのです。特に井上先生はスラダンもバガボンドも結局途中で事実上止めているので、途中で妥協ができなくなる芸術家気質が特に強いマンガ家の一人だと思います。そして最も悩んでいたのが、その武蔵の「瞳」の部分でした。第三者には分かりません。が、何かイメージしていたのと違ったのですね。その気持ちは自分で絵を描くと本当によく分かります。最初イメージしたものをラフに下書きし、その段階では線に遊びを持たせているのでまあまあイメージ通りなのですが、実際に仕上げでペン入れしていくに従い、絵としての実体化がイメージから徐々にズレていく。他の部分はね、例えば洋服等は意外とズレてもそれなりに対応が効くのですが、瞳だけは効かない。目は口ほどにものを言う。スゲエ、よく分かります。
単行本で読んだ時はどっちかっていうとライナーに同情してたんだけど…。最新話まで知っての今回はエレンに気持ち持ってかれた。世界中から名指しで敵認定て…、元は壁の外に出たいだけの少年だったのに。諦め→覚悟の表情が辛過ぎた。
皆あまり触れてないけどイェレナ初登場めっちゃテンション上がったなー 声も漫画読んでる時はどんなだろ〜なんて思ってたけどアニメ観たらめっちゃピッタリやんって思った。(男装Ver.だけど)あとは例の顔芸シーンが楽しみだ!
個人的には、原作で演説の「力を合わせれば…」のくだりでエレンがすごく悲しそうな顔をしたカットは残して欲しかった…。
パラディ島の人間だけがその中に入っていないのだという悲しみだと思ったから。。
134話の演説の後読み返すとすごく切ない。
ベルトルトの声気のせいじゃなかった。やっぱ居たんすねw
ニキのリアクション動画でみたんだけど
タイバー家の子供達のオモチャのシーン、1話に出てきてた!
ほんの一瞬なのに、あのニキよくわかったよなー。
しかも、原作にはないんですよ。アニメ化するとき、諫山先生が指示したんでしょうね。なんかトリハダたった。
大事な言い回しをカットしたのは許せん
ヴィリーの演説で、原作では
世界中で語られてきた歴史を【真実】
タイバー家が受け継いできた歴史を【事実】
としていましたが、
アニメは逆になっていました。
真実と事実では意味が異なりますが、
入れ替えたのは何か意図があったのでしょうか。
結局一語一句が重すぎるから、
不満を呼ばないようにしたらどこだろうとカットできないやろな。
64話の次回予告に出てたエレン巨人の左目って、33巻表紙の進撃の巨人の目に似てますよね、白い感じが。
片目だけ白いのって何か意味あるんですかね。。ユミルちゃんに支配されつつある的な…?それとも特に意味はないのか。。
橋詰さんの声すぐ分かったw
わかりやすい〜
漫画の時よりエレンの顔が少し可愛くみえた笑笑
カットは尺の都合上仕方ないんだろうけど、巨人化次回にしてでも2人の会話は忠実な感じでもっとライナーの逼迫感見たかった。このあと鎧巨人になったときのライナーの感情がより印象的になりそうだから。
ってあれもこれもは無理だよなあ
アルミンのおじいちゃんが外の世界の本を持っていたことや、アルミンの髪色から
アルミンはタイバー家の子孫ではないのかという説がありますがそれについてタキさんはどう思いますか??
エレンの足ニョキニョキは、ライナーがエレンに正体を明かしたときに腕を修復したのと対比されているようにも感じました。
初見です。
ヴィリーが、「私は死にたくありません。なぜなら、私が生まれたからです。」
この台詞をエレンが聞いたとき、驚いてるように感じました。
エレンも奪還作戦のとき、アルミンとの会話で、
「俺が、この世に生まれたからだ!」と言っていました。意味は違えど、同じことをいっていたので、エレンも驚いたのだとおもいます。
話してる内容も面白いし解説考察も概ね納得出来る。けどすこし早口なのが毎回残念です。もう少しゆっくり話した方が聞きやすいと思います。
「」の説明とか本当に現代文の授業みたい
5:01 エアクオートって日本でも有名なのかね?
皮肉的なニュアンスで、” ”を表すらしい。
9:18この絵ってMAPPAが書いたやつですかね?
この動画とはあまり関係ないのですが、未だに回収されてない伏線、謎について改めてピックアップした考察動画を出して欲しいです!
進撃のハマり具合が酷すぎて、最近はニュースを見る度に「これが全ての始まり何じゃないか…」って勝手に物語始めて楽しんでます。
色々とセリフをカットしまくったのとセリフとセリフの間の沈黙がなくなってたから残念
よくある詰め込みすぎのなろうアニメと同じ現象が起こってる
いつも楽しく動画見てます。作品への愛が素晴らしいです。
「それではまた」のあとのお口がかわいいのと、すぐ切れるところがツボです。笑
マインドマップ使いながら考察って新しい!って思ったのと、めちゃくちゃわかりやすくてただただ尊敬です。
これからも楽しみにしてます。
文句言いたくないけど、始まる前はここのエレンとライナーのセリフまでカットされまくるとは思ってもみなかった
2話ぐらい使ってねっとりやって欲しかったのも事実である
ベルトルさんの声めっちゃ分かりやすかった
エレンがライナーと会った時の心情は「怒り」ではあると思いますが、この怒りは自分に対しての怒りでしょうね。だからファルコに対して「君」から「お前」に変わったんですかね。エレンにとってのライナーとウーリにとってのケニーは同じ立場な気がしますね。
座れよライナー
進撃の巨人て原作1回通り読むだけだと分からないことが多すぎるからタキさんの存在が本当に助かる
伸びて欲しいけど伸びて欲しくない。(ネタバレなしのコメント欄はここだけ)
ヴィリー「私は死にたくありません、それは私がこの世に生まれて来てしまったからです」
エレンも「俺がこの世に生まれてきたからだ」って言ってたけど、
ヴィリーが言うのを聞いて「!」な感じでまばたきするところ。
どんな心情だったんだろ。
(俺の母さんは喰われたけど)「世界を救うため」なら仕方ないよなぁ??
のくだりで漫画ではエレンが微妙に下まぶた上げてライナーに対する皮肉っぽい表情してたけど、アニメでは本当に共感してるような感じだった。
ストーリーも演出も曲もアニメ史上最高峰の出来になれるポテンシャルがあっただけに、このシーズンは色々と残念かな。
Mappaには悪いけど..
コルトとジークのキャッチボールは超重要シーンだが普通に消えてて残念。
別にジークが野球好きだからではなく、キャッチボールには「お互いに通じ合ってる」という意味がある。映画でも多用される演出だ。そして漫画ではキャッチボールは失敗している。
マッパ版は省略気味で、この超重要エピソードでこんだけシーンカットをやっているので今後も安心出来ない。オープニングとエンデュングを削ってでも入れるべきだった。
カットが多くても基本的にシナリオ編集であり、後からカットシーン流したりするので別にいいかなーって感じ
【4】付け足し。
動画が絵の話ではなかったので、付け足しは特にありません。
ガヤね。昔からのアニメ製作の伝統でもあるし、一人に複数を担当させれば製作コスパも上がりますが、不特定多数のガヤの声をあるステータスに達した声優が演じてしまうと、新人声優のデビューや経験の場が1つ失われますので、痛し痒しですね。将来の声優の育成を考えれば、ガヤは新人だけで担当が望ましいです。
【サムネだけで判断その2:カラー画と白黒画とではは目的や技法が違うの巻】
実線でペン入れした段階でイメージからズレますが、着色すると更にイメージからズレます。要するに、脳でイメージしていたものを実体化させて定義している幅が大きくさせるほど、イメージからズレるのです(一般に日本では3DCGアニメは不評なケースが多いですが、その理由の1つが受け手側が自由な想像で補っていた2次元の絵に欠けていた部分が、製作側によって全て定義されて、そこにズレを感じてしまうからでしょうね)。
が、演出上特別な意図がある場合を除き、アニメ化では着色するのが基本。自ずと印象は異なりますが、実はマンガは(基本は)白黒である事を逆に逆手に取っている技法を取り入れているのです。
マンガ技法の元の元が何であるか?と源流を遡ると、「水墨画」に行き着きます。水墨画は中国で始まりましたが、それは見たものをそのままに描く写実派として始まりました。当時は写真機が無いので、その代わりとうことです。ところが日本では、見たものをそのまんまではなく、自分の心の目で捉えた印象を重視する印象派として発達しました。見たまんまではないので作者の個人的な心象としてデフォルメが加わっており、これがマンガの絵的な部分の原型と言えるでしょう。この白い和紙に墨の濃淡だけで色の濃淡や明暗を表現する独特の技法は西洋ではなく日本においてのみ進化したので、日本だけに特別にマンガ文化が発展し、結果として根付いたと言えます。一方、米国にはその土台となる文化はまるで無いので、全てを写実的に定義する3DCGが不自然に受け取られていないと合わせて言えるでしょう。
【サムネだけで判断その1:目は口ほどにものを言うの巻】
きむ兵衛の絵描き脳が作動したぞ!絵話に対して鬼太郎の髪の毛の妖怪レーダーのように敏感に反応する!以下にタキさんのサムネだけで判断した「原作の絵に対するアニメ改修点」について論じます。実際に動画を見て補足があれば、別途で書きます。原作のネタバレと言うより、美術史的なマンガ史のネタバレを含みます。
その原作とアニメのエレンのカットで違うのは、まあ、眼帯の大きさも違いますが、もっと本質論で言うと、瞳の描き方(の違いから受ける印象)が違います。
自分で絵を描くと分かりますが、人物画の中で一番難しいパートが「瞳」です。ちょっとした微細なタッチでまるで表情が異なってしまい、最初にイメージしたことからズレていくのです。誤魔化しが一切効きません。
前に「SLAM DUNK」の井上雄彦先生がNHK「ザ・プロフェッショナル/仕事の流儀」に出演したことがあり、何かの企画で壁一面に大きな「バガボンド」の宮本武蔵を描いていました。私の目からは十分に完成度が高い素晴らしい絵に見えたのですが、描いている井上先生自身は「何かが違う…」とどうしても納得が行かない様子。しばらく悩みながら、何度も何度もやり直してました。何なのかはイメージした井上先生にしか分かりません。マンガ家の仕事人としての部分は作品を〆切という納期以内に納めなくてはならないので、ある程度で妥協せざるを得ませんが、〆切無しの場合は芸術家として振る舞い、完璧主義になるのです。特に井上先生はスラダンもバガボンドも結局途中で事実上止めているので、途中で妥協ができなくなる芸術家気質が特に強いマンガ家の一人だと思います。そして最も悩んでいたのが、その武蔵の「瞳」の部分でした。第三者には分かりません。が、何かイメージしていたのと違ったのですね。その気持ちは自分で絵を描くと本当によく分かります。最初イメージしたものをラフに下書きし、その段階では線に遊びを持たせているのでまあまあイメージ通りなのですが、実際に仕上げでペン入れしていくに従い、絵としての実体化がイメージから徐々にズレていく。他の部分はね、例えば洋服等は意外とズレてもそれなりに対応が効くのですが、瞳だけは効かない。目は口ほどにものを言う。スゲエ、よく分かります。
単行本で読んだ時はどっちかっていうとライナーに同情してたんだけど…。
最新話まで知っての今回はエレンに気持ち持ってかれた。世界中から名指しで敵認定て…、元は壁の外に出たいだけの少年だったのに。諦め→覚悟の表情が辛過ぎた。
エレンが巨人化する時の目がフリーダと同じような目をしていたから、エレンはその時点で始祖に操られてる?説を考えたけどエレンは王家の血を引くものでは無いからそうじゃないとなるとどうなのか分からなくなる
マーレ編を観てる今、3期のベルトルトの「世界はこんなにも残酷じゃないか」って言うシーンを見ると当時観た時より泣きそうになります
皆あまり触れてないけどイェレナ初登場めっちゃテンション上がったなー 声も漫画読んでる時はどんなだろ〜なんて思ってたけどアニメ観たらめっちゃピッタリやんって思った。(男装Ver.だけど)あとは例の顔芸シーンが楽しみだ!