レイを失ったシンジと、加持を失いながらも子どもを授かったミサトが、喪失を乗り越えて成長する。依存する関係ではなくお互いに思いやりあえる人間となった二人のハグは感動的でしたね。逆シャアで親になれずにクェスを殺してしまったシャアとアムロとは違い、親(子どもを庇護できる人間)になれたミサトは庵野監督自身の成長と重なっているのかもしれませんね。
私は本編を観た時、ミサトさんはやっぱり加持さんのことを愛していて、母として息子を想うときに同時に加持さんへの想いも抱けるよう、同じ名前にしたのかなと考えていました。もしくはミサトさんは加持さんを「アンタ」とか「加持」とか呼んでいたけど、実は「リョウジ」と呼びたかったとか?
ご考察の理由の他に、愛する人が命を投げ出して守ってくれた自分の命を同じくインパクトを止めるために投げ出す決意をしてしまったことに対するごめんねもあるのかもしれません私的にはシンジくんがリョウジくんと会ったことをミサトさんに報告した際の「そう、ありがとう」がぶっ刺さりましたシンジくんが「いい奴だった」と言ってくれたこととリョウジくんがいい奴に成長してくれていたことに対して、二人の息子に対して同時にありがとうと言っているように聞こえました
息子にリョウジって名付けたのは自戒なんやないの。その時のミサトはたぶんそこまで深く考えてなくて、タヒんだ父親と同じように愛してたハズの加地にも同じようにしか出来なくて失ってから後悔して愛をやっと自覚したと思うんだよね。だから、そういうことをもう二度としないように。そういう自分だったことを忘れないように、自分の子どもが危ない時に今度は自分が助けるっていう決意やと思ったよ
色々と考察を拝見させて頂いております。とてもよく考えられており感心させられます。一つだけ。『なんで14年後なのか、なぜ10年とか20年でなく』と思ってましたが、これなのですね庵野監督はこの動画の12:35頃に出てくる写真を、ミサトさんが見つめるシーンをそもそもやりたかったんだな、とシンジとリョウジが同い年で一緒に写真に写っている二人の息子を見つめる母親 もう、なんとも言えませんね…素晴らしい作品ですエヴァロス
シンエヴァは「母親」「母親の愛」その大切さを伝えたいのではと思いました。委員長、ネコちゃん、ミサトさん、ユイさん。レイはつばめに出会うことで母親のように大切に接していたしアスカは認められたい。母親がいたら。。。と考えていた部分もあるしキリスト教で妊娠している女性は神様?天使?と同じくらいの存在らしいです。
ディープインパクトって洋画で、今から隕石に特攻して死んでしまう夫と最後に通信する妻が、夫が宇宙にいる間に産まれた赤ちゃんを見せながら息子よ!名前はオーウェン!と夫と同じ名前をつけていました。外国ではお爺ちゃんや父親の名前を受け継ぐ文化があるらしいのであまり不自然じゃないように思いました。
ミサトさんが、我が子に両親は死んだことにしてるのは、自身の体験とシンジ君の家庭環境もあったと思ってる。「仕事に逃げて家庭を顧みなかった父親」を恨み続けてたけど、父の死で愛情を知ったミサトさん。責任者しながらでも、子供に会うことは出来る。でも、「お母さんはなんで会いに来てくれないの」って子供に思われて、傷つけ続けるなら、親はいませんとしておいた方が最初からそんなもんだろうと諦めつくし。回りから「君は愛されて生まれたんだよ。ご両親は立派な人だったよ」と言われて育った方が、絶対良い子に育つでしょ。ところで、加治さんは、ミサトさんの夫なの?そこひっかかるんだが。
無理がありすぎ!いきなり出て来て、ナニコイツ?大体、子供を産んで捨てて、大佐ずらとか?ミサトは、あたまおかしい、世界を救う以前にするべきことがある産んで育児放棄は犯罪、大佐職なんか任命する軍隊とかありませ~ん!
考察動画拝見させて頂きました。色々なるほどと感心させられました。ただ、個人的な考察とはいえ、Airのミサトの行動だけ意見させて頂きたいのですが、省略された部分で「今の自分が絶対じゃないわ、後で間違いに気づき後悔する・・・私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ、でも、その度に前に進めた気がする」と言うセリフに続けて、簡略しますが「もう一度エヴァに乗っていた自分にケリを付けなさい。今の自分の答えを見つけなさい。ケリをつけたら必ず戻ってくるのよ」と語り、シンジも「・・・うん」とミサトの考えを汲み、少なくともちゃんと自分の意志を示していました。背負っている物や重さは違いますが、ミサトの生き方、シンジの現在の考えは視聴していて違和感無く同じ性質だと思いましたし、ミサトは乗り越える方法と後悔しないようにとシンジを鼓舞している様子も鑑みられます。大人のキスや行ってらっしゃいも、『女』としての彼女なりの『男』としての彼の無事を祈った言葉なのでしょう。Airとシンエヴァは考えや形が違えど「シンジが自分の意志で乗る」と言う流れは同じですし、一方的に想いを注がれたり、無理矢理乗せたと言うのは語弊があると思います。かなり昔ですが、シンジが泣いたのはミサトの死を直感した物(続きが無い事を知っていた)と当時の雑誌に書かれていたのを思い出しました。ただ、その後はベークライトが裏目に出て乗れなくて逆に絶望しちゃったのはありますけど・・・・・・。 あとJrの名前ですけど、ゲンドウが脳みそ拾って戻すのと同じく、案外制作側の意図としてはあんまり考えてないんじゃないかなとか、ただ加持の子として解りやすくするために、昔(昭和の終わりや平成初期くらいまで)は親の形見や祖父母の形見として名前を頂くと言う家も結構あったので、そう言う風潮的な物をサルベージしただけなんじゃないかと思ったけど。個人的な考えでは、種を守り地球を再生する目的の意志を自覚しないまま継ぐ実子の加持Jr、ミサトを守る意志を継ぐシンジと言う二人の息子達というのもある意味ロマンがあって良い気がします。
自分もこのシーンは感動したけど、むしろしっかりと他人になった印象をもった。旧ミサトのシンジへの思いはかなりグチャグチャで、家族の様に思いたい反面、自己投影してしまって自分と同一視してしまったり、家族とのコミュニケーションが取れないから”女”としてふるまったり、かと思えば、心理描写の中では性的な部分を汚らわしく思ったり、人としてシンジと向き合えてなかったと思う。 それが抱擁のシーンでは、しっかりとシンジを大切に思ってるリョウジの母親になってるし、シンジもミサトの思いを理解してる一人の人間として、別離の挨拶を交わしてるのがたまらない。
レイを失ったシンジと、加持を失いながらも子どもを授かったミサトが、喪失を乗り越えて成長する。依存する関係ではなくお互いに思いやりあえる人間となった二人のハグは感動的でしたね。
逆シャアで親になれずにクェスを殺してしまったシャアとアムロとは違い、親(子どもを庇護できる人間)になれたミサトは庵野監督自身の成長と重なっているのかもしれませんね。
私は本編を観た時、ミサトさんはやっぱり加持さんのことを愛していて、母として息子を想うときに同時に加持さんへの想いも抱けるよう、同じ名前にしたのかなと考えていました。
もしくはミサトさんは加持さんを「アンタ」とか「加持」とか呼んでいたけど、実は「リョウジ」と呼びたかったとか?
ご考察の理由の他に、愛する人が命を投げ出して守ってくれた自分の命を同じくインパクトを止めるために投げ出す決意をしてしまったことに対するごめんねもあるのかもしれません
私的にはシンジくんがリョウジくんと会ったことをミサトさんに報告した際の「そう、ありがとう」がぶっ刺さりました
シンジくんが「いい奴だった」と言ってくれたこととリョウジくんがいい奴に成長してくれていたことに対して、二人の息子に対して同時にありがとうと言っているように聞こえました
ミサトさんのあのシーンは何度観ても泣いてしまいます。
息子にリョウジって名付けたのは自戒なんやないの。その時のミサトはたぶんそこまで深く考えてなくて、タヒんだ父親と同じように愛してたハズの加地にも同じようにしか出来なくて失ってから後悔して愛をやっと自覚したと思うんだよね。だから、そういうことをもう二度としないように。そういう自分だったことを忘れないように、自分の子どもが危ない時に今度は自分が助けるっていう決意やと思ったよ
あなたが繋いでくれたこの命を身勝手に使ってごめんねっていう意味と捉えてたわ
色々と考察を拝見させて頂いております。とてもよく考えられており感心させられます。
一つだけ。
『なんで14年後なのか、なぜ10年とか20年でなく』
と思ってましたが、これなのですね
庵野監督はこの動画の12:35頃に出てくる写真を、ミサトさんが見つめるシーンをそもそもやりたかったんだな、と
シンジとリョウジが同い年で一緒に写真に写っている
二人の息子を見つめる母親
もう、なんとも言えませんね…
素晴らしい作品です
エヴァロス
仮設定の段階で加持リョウジJrの仮名が「加持シンジ」で旧劇版を超える重い女になるところだったミサトさんが救われた気がする
加持リョウジjrが未来の加持リョウジだと信じてますw
ミサトさんって、ユイさん並に凄い人じゃん……
ユイさんはシンジ守るために初号機にダイレクトエントリーしてシンジの願い叶えるトリガーになって、ミサトさんは人類守るために槍創って特攻するし、母強し
日本って親と子供って同じ名前つけれたんだっけ?
まあ現実の日本の法律がそうでも関係ないんだろうけど
ミサトも結局は、ゲンドウと同じように目的のために子供を捨ている。
コメント失礼します
まだ本編 見てないのに先に見てしまいましたww
旧バージョン見てないのに
新しいバージョンの映画 見てみたくなりました
命の価値=加持リョウジJr
私の愛した人はただ一人
だからこそ息子を守る為なら命を掛ける、胸を張れる
迷いを断ち切るにはこれしかなかった。
シンエヴァの相補性というテーマが映画観ながら心底突き刺さったなぁ。
「シンジ大人になったな」
相補性を肚に落とせるかどうかで人生の深みが変わると思う。
海外では自分の子供に同じ名前をつけてjr.と呼ぶみたいな
シンエヴァは「母親」「母親の愛」
その大切さを伝えたいのではと思いました。
委員長、ネコちゃん、ミサトさん、ユイさん。
レイはつばめに出会うことで母親のように大切に接していたし
アスカは認められたい。母親がいたら。。。と考えていた部分もあるし
キリスト教で妊娠している女性は
神様?天使?と同じくらいの存在らしいです。
名前を世襲してるんだと思う。
意思を受け継いでいくように。
ディープインパクトって洋画で、今から隕石に特攻して死んでしまう夫と最後に通信する妻が、夫が宇宙にいる間に産まれた赤ちゃんを見せながら息子よ!名前はオーウェン!と夫と同じ名前をつけていました。
外国ではお爺ちゃんや父親の名前を受け継ぐ文化があるらしいのであまり不自然じゃないように思いました。
ネタバレ注意 最後の駅からシンジとマリが出ってた後駅の周りが映されますよね?その時にいた人全員CGでした
もし次のエヴァがあるのなら、加持Jr.が主役になるかもしれませんね…
ミサトさんが、我が子に両親は死んだことにしてるのは、自身の体験とシンジ君の家庭環境もあったと思ってる。「仕事に逃げて家庭を顧みなかった父親」を恨み続けてたけど、父の死で愛情を知ったミサトさん。
責任者しながらでも、子供に会うことは出来る。でも、「お母さんはなんで会いに来てくれないの」って子供に思われて、傷つけ続けるなら、親はいませんとしておいた方が最初からそんなもんだろうと諦めつくし。回りから「君は愛されて生まれたんだよ。ご両親は立派な人だったよ」と言われて育った方が、絶対良い子に育つでしょ。
ところで、加治さんは、ミサトさんの夫なの?そこひっかかるんだが。
こう言うあり得ない設定が萎えるんだ庵野
シンジとミサトって同一人物というか、やり取りに常に自問自答感があるんだよね
息子が出来たことでミサトはようやくシンジに対する客観性を獲得した感じ
泣いちゃう
無理がありすぎ!いきなり出て来て、ナニコイツ?
大体、子供を産んで捨てて、大佐ずらとか?ミサトは、あたまおかしい、世界を救う以前にするべきことがある
産んで育児放棄は犯罪、大佐職なんか任命する軍隊とかありませ~ん!
考察動画拝見させて頂きました。色々なるほどと感心させられました。
ただ、個人的な考察とはいえ、Airのミサトの行動だけ意見させて頂きたいのですが、省略された部分で「今の自分が絶対じゃないわ、後で間違いに気づき後悔する・・・私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ、でも、その度に前に進めた気がする」と言うセリフに続けて、簡略しますが「もう一度エヴァに乗っていた自分にケリを付けなさい。今の自分の答えを見つけなさい。ケリをつけたら必ず戻ってくるのよ」と語り、シンジも「・・・うん」とミサトの考えを汲み、少なくともちゃんと自分の意志を示していました。
背負っている物や重さは違いますが、ミサトの生き方、シンジの現在の考えは視聴していて違和感無く同じ性質だと思いましたし、ミサトは乗り越える方法と後悔しないようにとシンジを鼓舞している様子も鑑みられます。大人のキスや行ってらっしゃいも、『女』としての彼女なりの『男』としての彼の無事を祈った言葉なのでしょう。
Airとシンエヴァは考えや形が違えど「シンジが自分の意志で乗る」と言う流れは同じですし、一方的に想いを注がれたり、無理矢理乗せたと言うのは語弊があると思います。
かなり昔ですが、シンジが泣いたのはミサトの死を直感した物(続きが無い事を知っていた)と当時の雑誌に書かれていたのを思い出しました。
ただ、その後はベークライトが裏目に出て乗れなくて逆に絶望しちゃったのはありますけど・・・・・・。
あとJrの名前ですけど、ゲンドウが脳みそ拾って戻すのと同じく、案外制作側の意図としてはあんまり考えてないんじゃないかなとか、ただ加持の子として解りやすくするために、昔(昭和の終わりや平成初期くらいまで)は親の形見や祖父母の形見として名前を頂くと言う家も結構あったので、そう言う風潮的な物をサルベージしただけなんじゃないかと思ったけど。
個人的な考えでは、種を守り地球を再生する目的の意志を自覚しないまま継ぐ実子の加持Jr、ミサトを守る意志を継ぐシンジと言う二人の息子達というのもある意味ロマンがあって良い気がします。
「ごめんね、リョウジ」については加持さんにミサトさんは生き残ってほしいと思っていたけど、未来のためにヴンダーと共に居なくなる事に対しても…だと思った。
恐らく庵野が考えるの面倒くさいから、死んでるし父親の名前でいいじゃんというのが真相じゃないかな?
自分もこのシーンは感動したけど、むしろしっかりと他人になった印象をもった。
旧ミサトのシンジへの思いはかなりグチャグチャで、家族の様に思いたい反面、自己投影してしまって自分と同一視してしまったり、家族とのコミュニケーションが取れないから”女”としてふるまったり、かと思えば、心理描写の中では性的な部分を汚らわしく思ったり、人としてシンジと向き合えてなかったと思う。
それが抱擁のシーンでは、しっかりとシンジを大切に思ってるリョウジの母親になってるし、シンジもミサトの思いを理解してる一人の人間として、別離の挨拶を交わしてるのがたまらない。
あの抱擁のシーンは号泣しました
ただ単に加持さんのことを忘れないためとか
加持さんの見守っている的な意味だと思ってた
けど図解見てちょっち見方が変わって
今は庵野さんのダブルミーニング説が濃厚
名前同じなの歌舞伎の名跡と同じ理由だと思う。
2 リョウジ(子)はいい子だなぁ
空白の14年でリョウジ(父)がどうやってサードを止めたか知りたいな!!(*´Д`*)
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