【エヴァンゲリオン考察】【UG# 165】シン・エヴァ解読のためのキリスト教入門〜 映画『沈黙 -サイレンス-』徹底解説 / OTAKING explains "Silence"



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「【エヴァンゲリオン考察】【UG# 165】シン・エヴァ解読のためのキリスト教入門〜 映画『沈黙 -サイレンス-』徹底解説 / OTAKING explains "Silence"」への35件のフィードバック

  1. より:

    カトリックが誤解されるといけないので書きますが、岡田斗司夫さんの見解は間違いです。
    遠藤周作さんの罪に躓く者こがキリスト信者の本質という見解は、カトリックの見解ともまったく相違はないです。
    遠藤周作さんの考え方は、毎日祈って信仰を強めようとするカトリックの教えを否定するものではありません。
    カトリックでも、人(信者)は罪に躓く者だからこそ、神様の力が自分に働くように(これを聖霊の働きという)、神に祈り、信仰を強めていくことを求めていく姿勢を教えています。
    マザーテレサも、「私は神様の道具です。ただの鉛筆です。書いてくださるのは神様です。」と言われました。
    マザーテレサも敬虔なカトリック信徒です。
    神の御心にかなう行いを成し遂げるのは、人の力ではないとされており、人は誰でも聖霊によらなければ、そのような行いはできません。
    罪人ではない人は、この世に1人もいないという聖書の教えを、カトリックでも教えています。
    だからこそ、聖霊が働いてくださるように祈るのです。
    自分が何か成し遂げたなら、クリスチャンは成し遂げた自分を神様の御前で誇るのではなく、そのように力を与え導いてくださった神様の愛を誇ります。

  2. より:

    神が自分に語ってくれないのか? これはクリスチャン的感覚だと『神の存在を知覚させてくれないのか』となる。神は常にその存在を示している。神は至るところでその意志を示している。それを感じられないのは、自身の心が大切で大切で仕方が無い、神への信仰より、自身への願い欲得が大切で大切で仕方が無い。自分の無意味な近い未来への祈りが神への祈りよりも強いだけ。 捨てろ、くだらない思いを捨てろ。 神は常に共にある。

  3. より:

    信仰がそもそも間違えてるな。信じるのが信仰ではない。そして神への理解が出来ていない。霊性が低かったんだろうね。残念としか言いようがない。 神は称えるもの、祈りは神を崇める事。キリスト教の信仰の『構造』を理解出来ない方が馬鹿だと思うね。そのまま聖書に書いてあるが、『自分の事だけを考える仏教的思考が抜けない憐れな日本人の姿』だな。ありのままの聖書を読めばこのようにはならない。『自分の為の信仰』この世界から抜け出せない『痛い人物の戯言』だろうね。信仰は『自分に祈るものでは断じてない』。わかるか?

  4. より:

    最初から間違え。信仰⇒信じるではない。神の存在?神はオリオンの鎖を繋いだ方、神はこの世界で初めて光を発した方、神はこの世界を混沌として設計した方、岡田ごときが理解出来ない方が神。信仰とは神を誉め称える事。祈りも神の栄光を称える事。 自身の為に祈るのは『仏教だけ』。キリスト教は自身を捨てた後の世界観。仏教は+から0(無)までの世界、よって内観、自身の為に考えに考えまくる。 キリスト教の世界観は0以下、マイナスの世界。自身を捨てはじめて神との出会いがある。 イエスの磔刑はマイナスの世界、心も肉体も信仰の為に捨てた姿。 まず、人の論評じゃなく、聖書読めよ。読めないのか? 誰でも読んだ事あるんだろ? なんでこいつは読んでないわけ? ま、知性と霊性の劣る人物は聖書を読めない。 それと、耳障りが悪い、『カソリック』?鳥肌立つわ。カトリックな、カトリック、なおせ、今すぐなおせ。 本気でゾクゾクする気持ち悪さだ。

  5. より:

    日本の神様も、何かを叶えて呉れるモノではなかった。只管、畏れるべきモノ、祟るものであり、其れを免れる為に祭りあげた。

  6. より:

    アハ。神の存在は私の存在が存在する事の根底としてある。コレは私が存在する事と何から変わりがない。神は私の幻想に答えない。ただそれを許すだけ。仏教では慈悲と表現される。(^.^)

  7. より:

    遠藤周作、悪人正機説に近いね。
    浄土真宗ならよかったのに。

  8. より:

    我が父よ永遠にあなたのそばに居たい…

  9. より:

    三位一体が居無いと言える。父なる神のヱホバに叫べば、聴いて下さる。三位一体なので、神は「沈黙」されたような??遠藤周作の著作でカトリックが疑問であれば、自分はヱホバの証人の正統信者ですなどと。『海があんなに青いのです??』それだけじゃ無いとも思うが。幼児洗礼は再洗礼が必要な人には施すが。幼児洗礼から神に誠実性がであってであれば、受ける必要性が無い、是々非々で判断される。幼児洗礼の中でも再洗礼の例が少なかったなどとか。キリストはモトモトユダヤ人のヱホバの崇拝の中のメシアだった。平信者の中で信仰が続けられた。背教者はも迫害にはにも耐え得無い。それ位、その位。

  10. より:

    なんで信じなきゃならないの?
    信じてなくても、いるものはいるし、いないものはいない

  11. より:

    そりゃ、信仰の内容が大間違いだからです。
    ヨーロッパ、アメリカのキリスト教圏で、
    魔女狩りと称して
    バール・ゼベール=牛頭天王=牛魔王
    の信者たちを異端審問裁判で、弾圧していたからです。

  12. より:

    弱い人間こそ神が救いたいのではないかって事なら、親鸞上人の「善人なおもって往生を遂ぐ。 いわんや悪人をや。」に通じるな。

  13. より:

    神様って点だと神道もキリスト教も同じなのかな

  14. より:

    うわやっぱり豊臣の誤解だったのねそれ。

  15. より:

    妄想話。

    残念ながら神らしきものは存在しますよ。
    私は嫌いだけど。

    どの宗教も神らしきものをうまく説明出来てないですね。どこかしら人の願望っていうかそうゆうものが混ざってる感じがする。

    神らしきものは、人の価値観で言うところの善なのか悪なのかさえわからない。

    ちなみに神を知り、信じたところで幸せになんてなりません。むしろ、時間の無駄です。好きなように生きるのが一番いいです。

    あのお方は、人の人生がどうなろうと気にもしてません。

  16. より:

    「沈黙」で検索するとスティーブン・セガール兄貴が出てきて戸惑う。

  17. より:

    キリスト教の信仰の解説として、岡田さんの言う話に付け加えると、もちろん「信仰」は、根拠のない事象を「真実として考える」神秘性を持っていて、キリスト教に関しては、「キリスト復活」は、「本当にキリストが復活した」と考えるところに、信仰の神髄があるのです。生き返ったと。科学上はあり得ないけど、「いや、実際にあったのだ」と。つまり、「奇跡が起こった」。これがキリスト教の「神性」の源。・・・なんかちょっとマッチポンプみたいだけどw。

  18. より:

    本読む前に解説聞いちまった!w。ま、いっか。
    岡田さんの言う、映画の主人公が(ネタバレ注意w)最後に神の声が聞こえた…という論理は、ほとんど「実存主義」かもしれません。うまく映画化されたのは、ポール・ニューマンの「暴力脱獄」でしょうね。神、もしくは信仰から遠くに離れれば離れるほど「キリストになる」という。だから「プラスティック・ジーザス」なのです。この理屈は、おそらく日本人は意外と体現してるかもしれません。遠藤さんも、実はそれに気づいてたのかも。そして面白いことに、回り回って、もと神父を目指し、挫折したスコセッシも。。なかなか面白い。

  19. より:

    ユダヤ教が天照大御神・神社でキリスト教が釈迦・寺院だと思ってた。
    新約聖書教義を弱者連帯のイデオロギーとして利用するなら一向一揆と変わりない、長島本願寺攻略に骨折った秀吉であれば布教に反対するのは当然。

  20. より:

    「行いによって救われる」というカトリック。「信じれば救われる」というプロテスタント。
    この違いが「沈黙」の根本だと思いますが、遠藤さんはカトリックでありながら、プロテスタント的な考えもあったので、バチカン、カトリック内部では正統なものとして扱われていない部分もあるようです。
    遠藤周作の本を読めばわかりますが、遠藤さんはずっとキリスト教に対しての揺らぎを抱えていたんです。
    その揺らぎの独自見解が沈黙のラストに繋がっていますが、この見解をキリスト教全体の考えと纏めるのは強引なので、あくまで1人のクリスチャンの独自見解と考えるのが正解だと思います。

  21. より:

    自然の擬人化が神様。かなとは昔から思ってる

  22. より:

    庵野秀明は世が世なら釈迦やイエスやムハンマドに並ぶ偉大な宗教家になってたかもしれない。

  23. より:

    信じるだけで救われると言う宗教だけではありません。
    それは宗教を知らない人の宗教観。
    多くの宗教は、努力と行動を求めています。
    無宗教の人こそ、行動しない。

  24. より:

    eyes onlyがいい例よな

  25. より:

    イエスが十字架にかけられたときの言葉「エリエリレマサバクタニ」は、旧約聖書の詩編22の引用ですが、これは「苦難を越えてもなお主を信じる心」を意味していると習いました。イエスの時代、旧約聖書はユダヤ人の常識であり、誰もが詩編を思い出し、苦難を越えた信仰のことを思ったはずで、解釈の余地はないということでした(牧師でもあるその先生の考えかもしれませんが)。

  26. より:

    ジャイアンがキリスト教だと思ってました

  27. より:

    信仰とは形じゃないんだということですかね。

  28. より:

    ジャイアンは私達を見ていらっしゃいます^_^

  29. より:

    遠藤周作は、さくらももこに自分から対談を申し込み、恐縮するさくらももこが腰痛持ちと聞くと「いい整体がある」と電話番号を教えたのだが、園電話番号は東京ガスの営業所だったというwお茶目な人だった

  30. より:

    タメ口の岡田さん新鮮でちょっと面白い

  31. より:

    遠藤周作は沈黙を発表後に懇意にしていた日本通のフランス人カトリック神父から
    「遠藤さん、あれじゃあ浄土真宗だよ」と言われたそうな、キリスト教信仰に真面目に取り組んだ遠藤周作だから
    こそ日本人と欧米人の決して越えられない壁を浮かび上がらせてしまう、それを再解釈しようとしたスコテッシュの
    映画と原作のズレも再びこの越えられない壁を浮かび上がらせたように感じる

  32. より:

    神様も人間も信頼関係が大事ですね。信仰している・されている気になっている信者と神に信仰はないと思います。沈黙は「律法主義」への強烈な抗議に思えます。

  33. より:

    原始キリスト教と秦氏を調べたほうがいいです。

  34. より:

    この世は民族人種そして神々の掃き溜めですよ。
    日本神話にある淡島とかヒルコみたいな余剰物が寄り集まった掃き溜め。
    せいぜいよそ者からの自由のために別れよう別れようと頑張っているのに結びつけようとするやつがいる・・・
    劇中のシンジはこれを解き放ってそれぞれの世界に押し出してやったんだろう

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