人間にとって、相対的ではない「自由」はもはや「自由」ではないと思います。何の影響も受けない、何にも干渉されないことを「自由」だと思っているなら、物理の法則さえも超える存在にならなければなりません。「自由」とは何か、「奴隷」とは何かをどう考えるか…そこに認知のズレが生じると、「自由」ではなくなる気がします。そしてエレンが抱いているのは「執着」であり、その時点で「自由」ではないのだと思います。
うーん…これは、「進撃の巨人」という作品そのもの。あるいは、諫山先生への疑問でもあるので、ここに書くのは不適切かもしれませんが。私は「何でもかんでも"奴隷 "と"自由"で片付け過ぎじゃね?」と感じました。ゴロツキキャラのケニーが「皆、何かの奴隷だった。」と世界を理解している部分は理解できます。が、他のキャラまでその解釈に引っ張られ過ぎです。まず、こだわり、依存、奴隷、夢、目標、全て違う言葉で異なる状態を指します。お話としては「みんな何かの奴隷だった。」ならキレイにまとまるとは思いますが…。他の大部分は素晴らしい作品だとは思いますが、この「語義をごっちゃにして話をまとめた?」部分に関しては違和感と共に「考える時間無かったんだろうな。雑だなぁ」という感想しかないです。
今回のは改変というより追加ですが、言い回しの変化なら他にもあると思います。特にアルミンとの会話は多くの読者に伝わらなかった、諫山先生の言う「うまくいかなかった」部分のはずなので エレンが能動的に過去をどうこうできる話ではない。というのを理解させるには、エレンに言葉で奴隷だと認めさせるのが第一歩だと思います。
あと自由に並ぶエレンの優先順位として、同期の仲間たちの世界を守りたいってのがあったと思います。ただその選択肢を選ぶことで、仲間たちと対立し殺し合う事も覚悟して、むしろ望んでいたとさえ思えるのが本当に複雑で悲しい。。
PVの0:07あたりで エレンが『自由の奴隷だ』と言った瞬間、始祖ユミルのカットが挿入されてるねこれは、始祖ユミルも「エレンと同様に自由の奴隷」である可能性を示唆しているのかな?だとしたら、これは「ユミルもエレンと同様に自由を求めたが、それ故、自由に縛られてしまった」っていうのを表しているのかもね
タキさんが仰る様に、自由と真逆の『奴隷』を対比させ、自由礼賛のストーリーはよくありますが、諫山先生は、その斜め上を行き、(何の影響も受けていない、)『自由』って本当にあるの?と云う投げ掛けをしたんですね。
俺の恩師が「戦争におけるイデオロギーや戦争そのものを勉強するなら進撃の巨人を観てください。」と言った意味がホントによくわかる。ま、結局はもう神話と化したような作品になったけど俺はなぜ、10年このアニメに触れてこなかったのか信じられない
長文で申し訳ないのですが個人的解釈を 奴隷の特徴は逃避不可能な事だと思うのですよ(この辺はアニメでどう描かれるかまだ分からないのですが)個人的見解ではエレンはミカサと逃避してるし、おそらくそれ以外にも違う選択を何度もしていて、その度に時間軸が元に戻って第一話の木の下に戻されちゃってると本作では描写されてるのではないかな要するにエレンは自分がミカサに◯される結果以外には逃避出来ないことを以って奴隷と表現してるのだと結果エレンに残る意思はその結末に向かうものだけに淘汰されたのだと私は読みますねこれはもちろんエレンに未来の記憶が見えるようになって以降の事で、そう解釈すれば、正しい人間だったエレンが「最悪の過ち」を望む自由意志を持つ様になった事の説明は付くように思います ちなみにキリスト教の根本的な考え方に「予定説」というものがありますこれはその人が良いことをするか悪いことをするかは生まれる前から神によって予定されているというもので、原因があって結果があるという因果律とは対極にある考え方ですエレンはユミルによってこういう壮絶すぎる人生を歩むように予定されてた、と私は解釈しますね
「これが自由だぁ」の台詞が印象的ですよね。計り知れない自由の代償が地ならしである事を見て見ぬ振りをするシーン後半は自由を得るために捨てた物が何かが分かり始めたのかも 自由の奴隷:自由を求め過ぎるが故、がんじがらめな考え方になってしまった状態かな…
アルミンとジークもそれぞれ大きな夢・理想を持っていてそれを生きがいにしている「奴隷」でもあります。その二人が対峙した時にアルミンは「3人でかけっこするために生まれてきたんじゃないか思った」と日常の些細な事にも人間は生まれた理由を見いだせる事を説き、それに共感し「キャッチボールがすること」が自分の生まれた理由だと考えたジークはそれまでの大きな夢・奴隷では無くなり死を選びます。いままで生きる支えにしていた「大きな夢」を失った・諦めた時に人は死を選びやすくなるとしたらもしやアルミンはそれを狙ってあんな話をジークにした?とか考えるとアルミンまじゲスミンと思います。
タキキター!!解説ありがとうございます。自由の奴隷のセリフ、エレン自身が言っている…読者としては感じていたけど、それをエレンが言ってはダメだ、というような気がしていました。でもアルミンとの二人きりでの道での会話なら、素のエレンとしての述懐として成立しますよね。物語全体の中でどのように構成されて、自分はどのように受け止められるか、後編が楽しみです。
自由の奴隷…メタ的な言及、すごい感じますよね。エレンが自分自身を俯瞰して見ている描写は、視聴者の目線とも感じられて深いです…。どんな演出になるのかすごく楽しみです。エレンの口調も吐息の出し方だったり、声の低さだったり、今までのエレンとの違いを感じます。最終回がとにかく楽しみです。2ヶ月猶予があるのでしっかり復習しようと思います!!
思想の自由があったものの、行動の自由はありませんでした。 間違っていることをやっているのが知っているのですが、(選択した後の後悔やらなければならないことも同時に分かっている。(仕方がないことの覚悟だから「自由の奴隷」
キター!
打上げに参加したいなあ。
人間にとって、相対的ではない「自由」はもはや「自由」ではないと思います。
何の影響も受けない、何にも干渉されないことを「自由」だと思っているなら、物理の法則さえも超える存在にならなければなりません。
「自由」とは何か、「奴隷」とは何かをどう考えるか…そこに認知のズレが生じると、「自由」ではなくなる気がします。
そしてエレンが抱いているのは「執着」であり、その時点で「自由」ではないのだと思います。
うーん…
これは、「進撃の巨人」という作品そのもの。あるいは、諫山先生への疑問でもあるので、ここに書くのは不適切かもしれませんが。
私は「何でもかんでも"奴隷 "と"自由"で片付け過ぎじゃね?」と感じました。
ゴロツキキャラのケニーが「皆、何かの奴隷だった。」と世界を理解している部分は理解できます。
が、他のキャラまでその解釈に引っ張られ過ぎです。
まず、こだわり、依存、奴隷、夢、目標、全て違う言葉で異なる状態を指します。
お話としては「みんな何かの奴隷だった。」ならキレイにまとまるとは思いますが…。
他の大部分は素晴らしい作品だとは思いますが、この「語義をごっちゃにして話をまとめた?」部分に関しては違和感と共に「考える時間無かったんだろうな。雑だなぁ」という感想しかないです。
今回のは改変というより追加ですが、言い回しの変化なら他にもあると思います。特にアルミンとの会話は多くの読者に伝わらなかった、諫山先生の言う「うまくいかなかった」部分のはずなので
エレンが能動的に過去をどうこうできる話ではない。というのを理解させるには、エレンに言葉で奴隷だと認めさせるのが第一歩だと思います。
進撃知った時から、進撃の奴隷やった。
いよいよ終わるのか…
待っていたような、寂しいような、エヴァが終わった時の心境と似てる。
この動画見てからずーーっと考えてるんですが、どうしてもまとまらない…
タキさんは電光石火のタイミングで、これだけ難しいテーマにキレッキレの解説をしてくれて本当に凄いです!
エレンが未来の記憶を肯定して進み続けた理由の一つに、「自身が“自由の奴隷”である事を理解し受け入れた」点があるのでは、と感じさせられる内容でした。
お前らと考察出来て楽しかったよ。もし..次回作があったら..また考察しような。
あと自由に並ぶエレンの優先順位として、同期の仲間たちの世界を守りたいってのがあったと思います。
ただその選択肢を選ぶことで、仲間たちと対立し殺し合う事も覚悟して、むしろ望んでいたとさえ思えるのが本当に複雑で悲しい。。
当時、最終話の中でも
ミカサへの本当の想いを必死になって語ったかっこ悪いエレンのシーンが一番感動しました。
昔のエレンが帰ってきて、ミカサは報われたんだなぁって…
最後まで進撃の巨人を応援しています
PVの0:07あたりで
エレンが『自由の奴隷だ』と言った瞬間、始祖ユミルのカットが挿入されてるね
これは、始祖ユミルも「エレンと同様に自由の奴隷」である可能性を示唆しているのかな?
だとしたら、これは「ユミルもエレンと同様に自由を求めたが、それ故、自由に縛られてしまった」っていうのを表しているのかもね
タキさんが仰る様に、自由と真逆の『奴隷』を対比させ、自由礼賛のストーリーはよくありますが、諫山先生は、その斜め上を行き、(何の影響も受けていない、)『自由』って本当にあるの?と云う投げ掛けをしたんですね。
『自由って一体なんだーい?』by尾崎豊
2+0+2+3+1+1+0+4=13
進撃の巨人完結編前編
2023年3月3日
2+0+2+3+3+3=13
進撃の巨人完結編後編
2023年11月4日
2+0+2+3+1+1+4=13
これ流石に天才すぎない!?
気付かされて鳥肌立ちまくった…
俺の恩師が「戦争におけるイデオロギーや戦争そのものを勉強するなら進撃の巨人を観てください。」と言った意味がホントによくわかる。ま、結局はもう神話と化したような作品になったけど俺はなぜ、10年このアニメに触れてこなかったのか信じられない
進撃の能力だからこそ出る言葉だよね。受け取る未来が屍の道であり葛藤はあるものの、必ず自分の意志で自分の背中を押すもんだから、自由の奴隷という矛盾を抱えるという…。
タキさーん!
さすがの解説ありがとうございます。
これで終わっちゃうと思うと寂しいです。喪失感半端ない。
でも同時にすごく楽しみ!!期待して待ちます!
長文で申し訳ないのですが個人的解釈を
奴隷の特徴は逃避不可能な事だと思うのですよ
(この辺はアニメでどう描かれるかまだ分からないのですが)個人的見解ではエレンはミカサと逃避してるし、おそらくそれ以外にも違う選択を何度もしていて、その度に時間軸が元に戻って第一話の木の下に戻されちゃってると本作では描写されてるのではないかな
要するにエレンは自分がミカサに◯される結果以外には逃避出来ないことを以って奴隷と表現してるのだと
結果エレンに残る意思はその結末に向かうものだけに淘汰されたのだと私は読みますね
これはもちろんエレンに未来の記憶が見えるようになって以降の事で、そう解釈すれば、正しい人間だったエレンが「最悪の過ち」を望む自由意志を持つ様になった事の説明は付くように思います
ちなみにキリスト教の根本的な考え方に「予定説」というものがあります
これはその人が良いことをするか悪いことをするかは生まれる前から神によって予定されているというもので、原因があって結果があるという因果律とは対極にある考え方です
エレンはユミルによってこういう壮絶すぎる人生を歩むように予定されてた、と私は解釈しますね
「これが自由だぁ」の台詞が印象的ですよね。
計り知れない自由の代償が地ならしである事を見て見ぬ振りをするシーン
後半は自由を得るために捨てた物が何かが分かり始めたのかも
自由の奴隷:自由を求め過ぎるが故、がんじがらめな考え方になってしまった状態かな…
タキバーさん、待ってましたー。
まじで前編と後編合わせて映画館でやってくれ…!!!!
タキさん!!
硬化しないように…
といいつつ硬化してしまい
解かれる日を待ってました!!!
新情報ついに出ましたね!
タキさんの変わらぬ解説も含め
今から楽しみです\(^o^)/
アルミンとジークもそれぞれ大きな夢・理想を持っていてそれを生きがいにしている「奴隷」でもあります。
その二人が対峙した時にアルミンは「3人でかけっこするために生まれてきたんじゃないか思った」と日常の些細な事にも人間は生まれた理由を見いだせる事を説き、
それに共感し「キャッチボールがすること」が自分の生まれた理由だと考えたジークはそれまでの大きな夢・奴隷では無くなり死を選びます。
いままで生きる支えにしていた「大きな夢」を失った・諦めた時に人は死を選びやすくなるとしたら
もしやアルミンはそれを狙ってあんな話をジークにした?とか考えるとアルミンまじゲスミンと思います。
自由意志は存在するか?という問いかけ
タキキター!!解説ありがとうございます。
自由の奴隷のセリフ、エレン自身が言っている…読者としては感じていたけど、それをエレンが言ってはダメだ、というような気がしていました。
でもアルミンとの二人きりでの道での会話なら、素のエレンとしての述懐として成立しますよね。
物語全体の中でどのように構成されて、自分はどのように受け止められるか、後編が楽しみです。
お元気ですかー‼︎
ライブ配信やりましょうやりましょう!
自由の奴隷…メタ的な言及、すごい感じますよね。エレンが自分自身を俯瞰して見ている描写は、視聴者の目線とも感じられて深いです…。どんな演出になるのかすごく楽しみです。
エレンの口調も吐息の出し方だったり、声の低さだったり、今までのエレンとの違いを感じます。
最終回がとにかく楽しみです。
2ヶ月猶予があるのでしっかり復習しようと思います!!
やっぱアニオリでしたよねアレ
最終話のツアーでねじ込むぐらいしか考えられない
思想の自由があったものの、行動の自由はありませんでした。
間違っていることをやっているのが知っているのですが、(選択した後の後悔
やらなければならないことも同時に分かっている。(仕方がないことの覚悟
だから「自由の奴隷」
PVのシーンの考察してください。お願いします(例えば歴代の9つの巨人とか鎧vs顎とか)
自由の奴隷っていう矛盾した言葉凄いよな
よう…………2ヶ月ぶりだな…………タキ…………
タキさーん!!
お久しぶりです!
なんかもう哲学みたいな話ですね。
進撃すごいわ…