梶さんが普段泣いたり、アニメで泣いたりすることが無いらしいのですが、これは感情移入してしまった為か泣いてしまってましたね…https://youtu.be/j6HXKgcAidI エレン役相当辛いですね…
恐らくエレンはアルミンやミカサたちと対話によって分かり合うことはできると分かってはいるんじゃないかなと思う。だけど、多分分かり合うことで、エレンにとってミカサやアルミンといった104期の人々がイェーガー派に付いてしまったことで死んでしまう、未来のことを話してしまったことで人々の動きが変わってその通りにならないなどの不都合が起こる、あるいは話しても何も変わらないことを知っているのではないかと思った。手紙にどんなことが書いてあったかは分からないが、単なる協力要請にとどまらない未来のことを書いていたがその通りにならなかったり(都合のよい解釈をすればレベリオ襲撃で死傷者が出ないとか)、内容を調査兵団の人々に信じてもらえなかった(サシャが死ぬことが分かってて来てはいけないと書いたにも関わらずサシャが来て死んでしまった)とかの先例があってあえて未来の記憶を話していないのではないかと思った。
マーレ強襲の前からエレンの気持ちは決まっていた。エルディア人のため、調査兵団の仲間の為、ヒストリアのため…オレ一人が悪魔になればみんなは生き延びられる…サシャは死んでしまったが、最期までサシャらしく逝った…それなのにオレは…オレもみんなと一緒に生きていたい。だがそれも叶わぬ夢…ならばみんなのために!エレンが感情を押し殺し孤立しているようにしているのも、後々兵団の仲間たちにあらぬ嫌疑が及ばないようにしているのでしょうね。
映画「何者」で佐藤健が主人公を演じる際、小説の主人公ではなく、作者の朝井リョウを投影する役作りに徹したとラジオで聴いた。梶さんがセリフに際して原作ではなく諫山さんに電話したって話はこれに近い気がした。思えば後半のエレンの心境はい結末が見えていてその筋書きを如何様にもできる作者の心境と近い気がする。読み手としてはずっと最高のパフォーマンスを発揮し続けているように見える諫山さんも、これだけの大作の結末となるとプレッシャーは想像を絶するはず。自分が産んだキャラクターが可愛くないはずないのに、それでもサシャは撃たれたし少年は踏み潰された。選んだ未来の犠牲になったサシャに笑い、罪のない少年に謝罪するエレンの心境は、自分が選んだストーリーに対して犠牲になる命への作者の心境そのものが大きく反映されているように感じた。
「戦え、戦え」ってね、「敵と戦え」っていう当たり前の意味じゃないから強調してるんだよね、多分。エレンはこれからの地鳴らしを行う予定だけど、つまりは全世界を自敵に回し、自分の仲間も裏切ることになる。仲間に相談したって、どうせ「止めとけ」って言われるのは目に見えてる訳だし。自分さえ罪人になれば、とにかくパラディは救われる。自分だけが悪者にさえなれれば。 エレンもサイコパスではない常人だから、悪魔になるのは辛いだろう。自ら悪魔になる覚悟とは、如何ばかりのものか…。 普通、躊躇する。 つまり、躊躇しかかる「自分自身と戦え」って意味だと思う。 今日アニメ69だね!
戦え、戦え、は他の進撃継承者を鼓舞し、命じる言葉の様に思いました。エレンは記憶で髪を梳るフリーダを見たので、鏡に向かえば過去にメッセージが送れると気づいたんでしょうね。何があっても折れない心を持つエレンの戦いは孤独過ぎます。誰かエレンを見つけてくれ…
アルミンがアニに話しかけるのは宣戦布告でエレンがライナーと話したのと対比なのかなと思います。エレンの計画によって気が進まないながら大量虐殺をしたアルミンと同じ気持ちになれるのは、ライナーによってパラディ島に残り大量虐殺に加担したアニしかいない。巨人の力によって人間を超越した者が持つ孤独は、共に戦ってきた仲間ではなくて、同じ力を持った者にしか分かり合えないんだろうなと思って切なくなりました。
最後の動かない相手に話しかけるというところでひとつ思ったのですが、アルミンはいつか目を覚ますかもしれないアニという「未来」、エレンは鏡の中の自分という「現在」、ミサカは死んでしまったサシャという「過去」と向き合っているという3つの対比なのではないかと感じました。
個人的に漫画を読んでいた時のエレンへの印象と、梶さんがアニメで演じるエレンの印象が結構違う事があるんですけど、そういう時はだいたいエレンの心情が分かりやすくなりすぎていると感じる事が殆どなんです人によって感じ方は違うのである意味当たり前の現象ではあると思うのですが、梶さんがエレンを演じるに当たって悩んで悩み抜いている話を聞くと、プロとしてエレンという人間になりきろうとする自分と、エレンの事が大好きな一人の人間としての自分の葛藤があって、エレンを好きな感情が少し勝った時に、どうかみんなにもエレンの事を理解してほしい、エレンの心の葛藤に気付いてほしいという親心的な感情が働いた結果、原作以上にエレンの隠された感情が見えやすい演技になっているのかなと思いました
鏡に戦えのシーンで思い出したどこかで見た考察で「進撃の巨人継承者としてのエレン」と「本来のエレン」という2人のエレンがいる (例えば「本当は俺たちが滅ぶべきなのでは」というエレンと「そんなの納得出来ない」というエレン) というのがあったなぁとこの考察から鏡に向かって放った「戦え」は「進撃のエレン」が「本来のエレン」へ向けた言葉なのではないかと思った
ハンジさんの演技もなかなか素晴らしいものでした!
進撃の巨人は本当に内容が深い。
1話でカルラがエレンに嘘をつくと耳が赤くなるみたいな言ってるシーンがすごく印象深かったけどその後全然そんなシーンでてこなかった>_<
梶さんが普段泣いたり、アニメで泣いたりすることが無いらしいのですが、これは感情移入してしまった為か泣いてしまってましたね…https://youtu.be/j6HXKgcAidI エレン役相当辛いですね…
対話でどうにかなると夢を見続けていたアルミンも結局最後はエレンを殺さなければならないという現実を見なきゃいけなくなった。やはりエレンの考え方に肩入れしてしまうな
なんか諫山創先生には並々ならない賞を差し上げるべきだと思うけど??
5:00 エレンとアルミンの違いは?について
説明スタイルがポジティブな人の方がつらい状況を抜け出せることが
科学的に実証されているので、やっぱり世界を救うのはアルミン。
アニメ派は意外とワインの描写が多いことに疑問もってなさそうだね
恐らくエレンはアルミンやミカサたちと対話によって分かり合うことはできると分かってはいるんじゃないかなと思う。だけど、多分分かり合うことで、エレンにとってミカサやアルミンといった104期の人々がイェーガー派に付いてしまったことで死んでしまう、未来のことを話してしまったことで人々の動きが変わってその通りにならないなどの不都合が起こる、あるいは話しても何も変わらないことを知っているのではないかと思った。手紙にどんなことが書いてあったかは分からないが、単なる協力要請にとどまらない未来のことを書いていたがその通りにならなかったり(都合のよい解釈をすればレベリオ襲撃で死傷者が出ないとか)、内容を調査兵団の人々に信じてもらえなかった(サシャが死ぬことが分かってて来てはいけないと書いたにも関わらずサシャが来て死んでしまった)とかの先例があってあえて未来の記憶を話していないのではないかと思った。
2回戦があるの?とのハンジの発言はラストのビリビリへの伏線では?
エレンは一人で背負いすぎたと思う。もしエレンが仲間に相談したり、思ってること打ち明けたりしたら結末はだいぶ変わって救える命がいっぱいあったと思うな。
ハンジにいじられてて草
マーレ強襲の前からエレンの気持ちは決まっていた。エルディア人のため、調査兵団の仲間の為、ヒストリアのため…
オレ一人が悪魔になればみんなは生き延びられる…
サシャは死んでしまったが、最期までサシャらしく逝った…それなのにオレは…
オレもみんなと一緒に生きていたい。
だがそれも叶わぬ夢…ならばみんなのために!
エレンが感情を押し殺し孤立しているようにしているのも、後々兵団の仲間たちにあらぬ嫌疑が及ばないようにしているのでしょうね。
マーレって「かつて圧倒的な巨人の力を使って他国を蹂躙していた」ことを恨んでエルディア人を悪魔としているけど、今マーレがしてるのはそれと全く同じだよね…
アニメで見る前に27巻読み返してみたら、会話が滅茶苦茶多くて結構時間かかった。そういえば当時27巻だけは一気読み出来ず休憩挟んだなーとしみじみ……
タキさんと動揺、エレンの「戦え戦え」は自分を鼓舞させ、地鳴らしをする覚悟をしっかり決めたのかなと思います。
缶バッジめっちゃ増えてるwwwww
138話の考察で羊巨人大地の悪魔に似てる
タキさん!ご存じだったら申し訳ないですが、こないだアニメで登場したロボフ師団長ですが、リヴァイの地下街編のOVAに名前が出てきてましたよ!商人と結託してるとかいう話でした。
映画「何者」で佐藤健が主人公を演じる際、小説の主人公ではなく、作者の朝井リョウを投影する役作りに徹したとラジオで聴いた。
梶さんがセリフに際して原作ではなく諫山さんに電話したって話はこれに近い気がした。
思えば後半のエレンの心境はい結末が見えていてその筋書きを如何様にもできる作者の心境と近い気がする。
読み手としてはずっと最高のパフォーマンスを発揮し続けているように見える諫山さんも、これだけの大作の結末となるとプレッシャーは想像を絶するはず。
自分が産んだキャラクターが可愛くないはずないのに、それでもサシャは撃たれたし少年は踏み潰された。
選んだ未来の犠牲になったサシャに笑い、罪のない少年に謝罪するエレンの心境は、自分が選んだストーリーに対して犠牲になる命への作者の心境そのものが大きく反映されているように感じた。
何も言葉が見つかりません…
只々、最終話まで見届けます。
「戦え、戦え」ってね、「敵と戦え」っていう当たり前の意味じゃないから強調してるんだよね、多分。エレンはこれからの地鳴らしを行う予定だけど、つまりは全世界を自敵に回し、自分の仲間も裏切ることになる。仲間に相談したって、どうせ「止めとけ」って言われるのは目に見えてる訳だし。自分さえ罪人になれば、とにかくパラディは救われる。自分だけが悪者にさえなれれば。
エレンもサイコパスではない常人だから、悪魔になるのは辛いだろう。自ら悪魔になる覚悟とは、如何ばかりのものか…。
普通、躊躇する。
つまり、躊躇しかかる「自分自身と戦え」って意味だと思う。
今日アニメ69だね!
戦え、戦え、は他の進撃継承者を鼓舞し、命じる言葉の様に思いました。エレンは記憶で髪を梳るフリーダを見たので、鏡に向かえば過去にメッセージが送れると気づいたんでしょうね。
何があっても折れない心を持つエレンの戦いは孤独過ぎます。
誰かエレンを見つけてくれ…
アルミンがアニに話しかけるのは宣戦布告でエレンがライナーと話したのと対比なのかなと思います。
エレンの計画によって気が進まないながら大量虐殺をしたアルミンと同じ気持ちになれるのは、ライナーによってパラディ島に残り大量虐殺に加担したアニしかいない。
巨人の力によって人間を超越した者が持つ孤独は、共に戦ってきた仲間ではなくて、同じ力を持った者にしか分かり合えないんだろうなと思って切なくなりました。
先輩にお勧めされて初めて拝見しましたが丁寧でわかりやすすぎて尊敬しかないです。あとなんかおしゃれ。
最後の動かない相手に話しかけるというところでひとつ思ったのですが、アルミンはいつか目を覚ますかもしれないアニという「未来」、エレンは鏡の中の自分という「現在」、ミサカは死んでしまったサシャという「過去」と向き合っているという3つの対比なのではないかと感じました。
今まであんな残酷な世界を見せられてきて今度は自分がそれを人にするんだからよっぽどの覚悟と本当はしたくない自分を仲間のために言い聞かせるしかないのかなと思うとすごく切ないですね。
わしが現実に調査兵団にいたらイェーガー派に入りますわ。若いときは博愛主義だったのですが、年齢を重ね、いろいろ経験を積むと絶望的に外国人とは心の底で交わることはないと分かりました。エレン支持です。
もうちょい後にあるエレンミカサアルミン3人の会話シーン、アフレコしんどいだろうなぁ…
???「地獄の先にある何かを見ている、、それは希望かもしれないし、更なる絶望かもしれない。それはわからない、、、エレンの声優を担い続けた者にしか解らない」
個人的に漫画を読んでいた時のエレンへの印象と、梶さんがアニメで演じるエレンの印象が結構違う事があるんですけど、そういう時はだいたいエレンの心情が分かりやすくなりすぎていると感じる事が殆どなんです
人によって感じ方は違うのである意味当たり前の現象ではあると思うのですが、梶さんがエレンを演じるに当たって悩んで悩み抜いている話を聞くと、プロとしてエレンという人間になりきろうとする自分と、エレンの事が大好きな一人の人間としての自分の葛藤があって、エレンを好きな感情が少し勝った時に、どうかみんなにもエレンの事を理解してほしい、エレンの心の葛藤に気付いてほしいという親心的な感情が働いた結果、原作以上にエレンの隠された感情が見えやすい演技になっているのかなと思いました
エレンもサシャの死で決意が揺らいだんですかね・・・
2/13 23:08 エレンの地鳴らし 直撃食らいました皆さんは大丈夫でしょうか?
幼い頃から壁の外を夢見たエレンとアルミン、、
奪還作戦前日の夜や海を見た日のように二人のすれ違いが露になるのはなんとも切ないです、、
鏡に戦えのシーンで思い出したどこかで見た考察で
「進撃の巨人継承者としてのエレン」と「本来のエレン」という2人のエレンがいる (例えば「本当は俺たちが滅ぶべきなのでは」というエレンと「そんなの納得出来ない」というエレン) というのがあったなぁと
この考察から鏡に向かって放った「戦え」は「進撃のエレン」が「本来のエレン」へ向けた言葉なのではないかと思った